中野さんは週末ごとに実家に帰り、介護をしていたが、それだけでもつらかったという。
「帰るたびにお腹を壊していました。それでも私は月に数回我慢すればいい。父はよく面倒を見ているなあと感心しました」
改めて父親を尊敬したと中野さんは言うが、父親も精神的にかなり参っていたようだ。中野さんが帰るたびにたまった愚痴を吐き出していたし、二人で『いざとなったらみんなで心中しよう』と話すこともあったという。
「介護疲れで虐待したり、殺したりという事件がありますが、そうしてしまう家族の気持ちはよくわかります」
「もう限界」……特養に申し込む
父娘は、ギリギリまでがんばった。
シリカゲルを食べたり、深夜にオムツのまま水風呂に浸かっていたりと、母親から片時も目が離せなくなった。家族による介護はもう限界だった。
そこで、デイサービスで利用していた特養に入所を申し込むことにした。ご多分に漏れず、特養からは「100人待ち」と言われたが、1年ほど待つと入所できるという連絡が来た。
「デイサービスを多用していたので、順番が繰り上がったようです。突然『明後日から入所できる』と連絡があって、そんなに急なもんなんだとびっくりしましたね」
こうして中野さん父娘に、“普通の生活”が戻ってきた。独り暮らしになった父親は「寂しい、寂しい」と言いながら、2日に1回は母親に会いに行っている。
中野さんの母親が特養に入って、3年ほど経った。入所当時は、父親や中野さんのことをわかってはいたようだったが、今はもう何もわからない。言葉を発することもない。食事もできなくなったという。
「寝たきりではありませんが、要介護は5になりました。特養に入れると認知症が進むらしいですね……。医療的なケアもしてくれないらしいので、今後どうなるんだろうという不安はあります。でも民間の有料老人ホームなんて、大金持ちじゃないと入れないし、実家から徒歩圏の特養に入れたのはすごくラッキーだったと思います。それでも月に17~18万かかるので、経済的には大変です。私も少しですが援助しています」
若くして認知症となった母親が“母親”ではなくなる過程を見てきた中野さん。「自分は早めにポックリいきたいと思う」という言葉が胸に迫った。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。