取材・文/坂口鈴香
中野美佐さん(仮名・42)さんの母親は60歳を過ぎたころ「アルツハイマー型若年性認知症」と診断された。中野さんは、これから母親ではなく病人として扱おうと意識を変えた。そして父親とも「お母さんを怒ったり、言うことを否定したりしないで、何でも聞いてあげるようにしよう」と話し合い、実践することにした。
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母親から「死ね」と怒鳴られる
しかし、母親の認知症は確実に進んでいった。
「被害妄想が激しくなっていきました。お金や宝石がなくなった、誰かに盗られたと言ってしょっちゅう騒ぐようになりました。姪を泥棒と決めつけて、電話して怒鳴り散らしていたこともあります。お金への執着は顕著で、家中の至るところにお金を隠そうとしてはそれを忘れて『盗まれた』と言うんです」
さらに、気分のムラもひどくなった。機嫌が悪くなって暴言を吐く、暴れてはものを投げる……飼っていた猫をベランダから投げ落とそうとしたこともあったという。
「私が一番つらかったのは、暴言を吐かれることでした。母から面と向かって『お前なんか死ね』と怒鳴られるとそれは凹みました。病気とはいえ、こんなひどいことを言われるんだと驚きの方が大きかったですね。私は人前では泣けないので、隠れて一人で泣いていました」
いざとなったらみんなで心中しよう
母親の言動に困り切った父親と中野さんは、市役所や民生委員に相談した。
「介護サービスを利用するには、要介護認定を受ける必要があると言われました。それで初めて要介護認定という手続きを知ったんです。私たちは、それすら知らなかったんです」
母親が若年性認知症と診断されて2年余り、ようやく要介護認定にたどり着いたというわけだ。母親は要介護4と認定され、近くの特別養護老人ホーム(特養)でデイサービスを利用することになった。
このころになると、激しい気分のムラは落ち着いてきていたが、今度は徘徊がはじまった。
「一晩、行方不明になったこともあります。毎回警察に届けましたが、見つけてくれたことはなく、いつも善意の人が保護してくれていました。世の中捨てたもんじゃないと思いましたね」
このとき母親はまだ60代半ば。暴れるのも徘徊するのも体力がある。その分介護する側は大変だった。「祖母が認知症になったのは80歳近くなってからだったので、『まあしょうがない』と周りも受け入れやすいように感じます」と明かす。
徘徊に関しては、母親が勝手に家を出ていかないよう、カギを増設したことでほぼ解消された。
次に中野さんと父親が悩まされたのは、排せつの問題だった。トイレで排せつできなくなったので、オムツを使用することにした。
「オムツを替えるのは、日ごろ介護をする父がやるしかありません。父は亭主関白で、家事など何一つできない人だったので大変だったようですが、必要に迫られれば人間何でもできるんだなと思いました」
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