「勉強は小さい頃からできたんです。元々田舎で小学校は25人、中学でも学年は100人くらいしかいなかったんですが、成績は常にトップクラスでした。両親から勉強しなさいと言われたことはまったく記憶にありません。両親や祖父母も一切厳しくなくて、怒られたことももちろん、何か注文を付けられたこともありません。周りの友人は厳しく言われている人が多かったから、当時から本当に放任というか、自由にさせてもらっているなとつくづく実感しています。

私は、高校はみんなと同じ市内にある高校に進学するつもりでした。そこまで勉強に対しての意欲もなかったから。でも、三者面談の時に先生から市外にある進学校を勧められて。そのことで普段まったく無関心の両親がやる気になってしまったんですよね。結果、その学校を受験することになり、地元のみんなとは離ればなれになりました」

無事進学校に合格した正美さんですが、家から長時間かけて通う道か、寮という2つの選択肢を先生から提案されていた中、両親がまさかの行動に出たと言います。

「合格については内申点で受かると言われていたので、そこまで緊張はしなかったかな。合格発表も市外まで見に行くこともせずに、親族が近くに住んでいたから代わりに見に行ってもらっていましたね(苦笑)。だから最後まで緊張感は特にありませんでした。

合格した後、寮か家からの通学のどちらにしようか考えていた頃、両親がいきなり家族ごと高校のある市へ引越しすると言い出したんです。私には内緒で合格する前から少しずつ準備をしていたみたいで。先生からは甘えん坊だと思われていたんじゃないですかね。嬉しかったのに『自分からは頼んでいない』と強がっていました。私は典型的な一人っ子タイプで、両親に対して反抗期がなかった分、わがまま放題、自分のことはプリンセスだとあの頃は思っていたんですよね(苦笑)」

高校進学時に両親で市外に引っ越しした理由には父親のある教育方針があったそうです。

「父親はずっと『ここ(田舎)に残っていても仕事はない。外に出て行け』という教育方針を持っていて、そこに男女差はなく、女の私に対してもずっと外に出なさい、外で働きなさいと言い続けていました。当時はまだまだ考え方が古い人が多くて、花嫁修業にという考えの人もいたのに、うちの家では小さい頃からずっと地元にいてはいけないという考えを刷り込まれていましたね。私も縛られることや1つの場所に留まることが苦手だったから、大学、その後の就職と私はそのまま地元に一度も帰ることなく、本当に好き勝手やらせてもらいました」

大学進学後は広島、最初の就職は東京へ。そして香港、上海とさまざまな場所を渡り歩いて行きます。自由な生活を続けていた頃、正美さんをある病気が襲います。
~その2~に続きます。】

取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。

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