子供の成績には無関心の両親。家族旅行もなく、残っているのは父母と別々に遊んでいた記憶だけ
朋美さんは小さい頃からずっと成績が良く、勉強することも嫌いじゃなかったとのこと。しかし両親が勉強を見てくれた記憶は残っていないと語ります。
「母親が帰ってくるまで時間を持て余していたので、宿題や勉強する時間がたっぷりあったんですよね。その他に当時ハマっていたことも、趣味も特になかったから。それに私は元々、授業などでわからないことに出合うことが楽しかったんです。理解できるという感覚が好きだった気がしますね。そんな甲斐もあって、勉強は小さい頃からできたんですよ。
でも、どんなにテストで100点を取っても、通信簿でほとんどが5だったとしても、両親から褒められることはありませんでしたね。勉強を見てくれた記憶もないし、もちろん成績について怒られたこともなかった。両親から成績について何かを言われたことはありませんでした。私の成績が良かったからというより、基本何に関しても口を出すような両親じゃなかった気がします。姉はあまり勉強ができるタイプじゃなかったのに、姉にも両親が何かを言っている感じはなかったので」
家族旅行などの4人での思い出についてもあまり思い出せないそう。覚えているのは、両親のどちらかと一緒だった記憶だと言います。
「家族旅行と言っていいのかわかりませんが、両親の会社の人たちご家族との旅行には何度か行ったことがあります。しかしその旅行でさえ姉はすでに思春期を迎えていたのか行くのを嫌がって参加していませんでしたね。それに、お正月などに祖父母の家に行くことはありましたが、両方ともの祖父母の家は電車で数駅のところにあって、朝から行って夜に帰るような感じだったからどこかに家族で泊まるなんて記憶はありません。
両親のどちらかと出かけたことは覚えています。父親にはよく動物園に連れて行ってもらっていました。母親とは近所のスーパーに一緒に買い物に行くくらいですかね。小さい頃から買い物に行くと、母親は何でも好きなお菓子を買ってくれていました。スーパーの光景でよくある、お菓子を買ってくれない親に対して子供がぐずるようなことは私の家庭ではありませんでした。何でもカゴに入れてよかったんですよ」
家族で出かけることがなかった理由に朋美さんはあることを挙げます。
「小さい頃からずっと、両親は不仲でした。それは完全に父親のせい。父親にはギャンブル癖があったんです」
父親のギャンブルで借金取りからの電話を朋美さんは受けてしまいその事実を知ることに。そのことから、父親を嫌い、母親を守らなければという気持ちが芽生えていきます。
【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。