取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。~その1~はコチラ
今回お話を伺ったのは、都内の企業で働いている朋美さん(仮名・38歳)。兵庫出身で、両親と8歳上に姉のいる4人家族。両親は結婚前から同じ会社で働き続け、小さい頃から褒められたことも怒られたこともなかったそう。家族の思い出もあまりないという理由には両親の不仲がありました。
「家はマンションだったので、夜に両親のケンカする声などは聞こえてきていました。それに4人で晩御飯を食べている時などもたまに言い合いをしていたんです。仲良さそうだなって両親を見て思ったことはないかも。その原因が父親だと気づいたのは高校生になってからでした」
借金を作り、仕事も行かずに逃げ回っていた父親。その事実を知って、母親を守らなくてはと思った
父親のギャンブル癖に気づいたきっかけは借金の取り立てからの電話に出てしまったこと。当時高校生で反抗期に入っていた朋美さんは、両親との接点があまりない状態でその事実を知ったと言います。
「『お父さんはどこにいますか?会社に来ていません』といった内容だった気がします。借金取りからの電話で父親が仕事も行かずに逃げていることも知りましたから。借金はいくらあるのかは知らされないままでしたけど、母親が自分で稼いだお金で全額返したと聞いています。
その後ぐらいから、両親のケンカになったら母親側につくようになったんです。母親を守らなければと強く思い、そこから父親とは口もきかなくなりました」
父親の借金問題が明るみになったことで昔母親に一度だけ怒られた内容を思い出したそう。そこにも母親の気苦労がわかって切なかったと当時を振り返ります。
「母親から怒られたことなんて今まで一度もなかったし、内容もそこまで怒ることじゃなかったこともあり、ビックリしたことを覚えているんです。それは学生の時に友人に100円を借りただけだったから。母親からは『お金は絶対に借りてはいけない。貸したとしても、貸したら戻って来ないくらいの気持ちを持ちなさい』とその時言われました。当時は疑問が大きかったけど、父親の借金のことを知ってからは納得です。父親のようになってほしくなくて母親は必死だった気がします」
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