「したいことをしている」。父のその言葉は帰らなくてはいけないという気持ちを軽くしてくれた
祖母の介護をするために父は仕事を退職して、介護の資格を取ったそう。今まで仕事を一番に考えていた父の行為には、介護の他にある理由があったと言います。
「私たちが実家にいた時から、目に見えてケンカをすることはないけど、祖母と母は2人にしてはいけない間柄でした。祖母は早くに旦那さんを亡くし、父を含め4人兄妹を女手一つで育てた苦労人で、母親はどちらかというと苦労を知らないお嬢さま育ち。根本的な考え方が違うんです。小さい頃から夕食の材料1つにも意見が合っていないところをよく見ていました。そのギスギスした感じが、私たちがいなくなったことでより強くなっていたみたいで……。当時父には学校で教頭の話も出ていたそうなんですが、赴任先が遠くて単身赴任になってしまうことから断っていました。そして、祖母の脳卒中。父は母に祖母の世話を頼むことができなかったんだと思います」
梢さんは自分の知識で祖母を、そして両親を助けたいという思いから実家に戻る決意をします。しかし、それを父親は許してくれなかったそう。
「大好きな祖母、そして仕事人間の父親が仕事を辞めて家で介護をしている。私は家族として当然帰るべきだと思っていました。でも、そのことを父親に伝えたら、初めて私のすることに反対したんです。『今必要とされている場所で、その人たちを助けなさい』と。当時私は介護施設で働いていて、満足に休みがない状態でした。でも、仕事は充実していたし、人と触れ合うのが楽しかった。すべてを見抜かれている気がしました。さらには、『お父さんもやりたいことをやっている』と言いました。その言葉を聞いた時に、長女だから、家族だから帰るべきと思っていた気持ちが軽くなりましたね」
梢さんはその後転職して、今は障害者雇用で採用された人たちが、働く際の不自由な部分をサポートする仕事を行っています。その仕事は会社から振り分けられた仕事ではなく、自ら望んで就いたもので、その仕事を選んだ影響は両親にあるのだとか。「両親の影響で体が不自由な方、知的障害のある方のことを考えたり、触れ合う機会が多くあり、私にとってとても身近な存在なんです。両親のように、私も仕事には誇りを持っています。人にいい影響を与えられる人間に、これからも成長していきたいと思います」と梢さんは笑顔で語ります。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。