夜更かしはいつも祖母の部屋で。優しい祖母も、学校の話を聞かせてくれる両親も大好きだった

厳しい躾はなかったそうですが、家にはある家訓があったそう。それはというと……。

「中学生か高校生の時までテレビを見ていいのは20時までだったんです。でも、当時は学校などで今みたいなインターネットもまだまだ普及していない頃だったから、ほとんどがドラマの話になるじゃないですか。その輪にどうしても入りたかった私は、祖母の部屋に夜な夜な遊びに行って、こっそりテレビを見せてもらっていました。私たち姉妹と両親の部屋は2階で、祖母の部屋は1階だったので、最後のほうには音をたてずに階段を降りる術をマスターしたほど(苦笑)。今思うと、祖母は週に何度も私のテレビに付き合わされて、迷惑だったでしょうね。でも祖母はいつも笑顔で迎え入れてくれていました」

遊んでもらった記憶は祖母や姉妹だけが多く、両親ともに休みの日も学校に行ってしまうほど忙しかったとか。しかし母親は遊びに連れて行けない代わりに、夏休みなどには勤めている学校に連れて行ってくれていたと言います。

「母親が仕事をしているのを隣で待たしてもらっていました。母親の学校で飼育しているサンショウウオの世話をしたり、図書館で本を読んだり、自分が通っている学校じゃないから新鮮で楽しかったですね。父親の学校には連れて行ってもらったことはなかったけど、父は私が小さい頃は理科の先生をしていたので、家にメダカや鮭を持って帰ってきて、家でふ化させる実験をやったりして、それを見ているのが好きでした」

梢さんが高校生になる頃、両親がともに特別支援学級を受け持つことになったそう。両親は梢さんに学校での出来事をいつも話してくれ、そのことが進路を決めるきっかけになります。

「どういういきさつかは知りませんが、同じような時期に両親とも特別支援学級を受け持つことになったんです。元々母親は学校での話はよく私たち姉妹にしてくれていたのですが、その学級を受け持つようになってからは父親も学校での出来事をよく話してくれるようになりました。『学校でこういう交流があった』とか、『今こんな取り組みを生徒と一緒にやっている』といった簡単なものだったんですけど、興味深いことばかりで。私は話を聞いていくうちに福祉や介護についてもっと知りたいなって思うようになったんです。

そこから、近くにあった高齢者施設のボランティアで運動会などの地域活動に参加するようになりました。大学では農業や伝統工芸などを学びたいなって漠然と思っていたんですが、福祉の道に進もうと決意しました。そして、無事大学で資格を取るんですが、家族のために資格を生かすことはできなかったんです。でもそれには父の優しさが含まれていて……」

大学進学とともに上京。そして妹たちも東京へ。実家に残された両親と祖母の3人のバランスは少しずつ壊れていき、梢さんは一度は北海道に戻ることを決意するのですが……。
~その2~に続きます。】

取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。

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