「母親を支えてほしい」父の願いを受け入れたことで家族に笑顔が戻ってきた
徐々に律子さんは祖母の食事サポートなど、身の回りの世話も手伝っていくように。しかしそれは大学から帰ってからのみの時間に限られたもの。就職活動を開始するようになるとさらに家での時間は少なくなっていきます。そんな時期に父親からあるお願いをされたそうです。
「『就職せずに祖母の介護を、母親を助けてあげてほしい』とお願いされました。その時の率直な気持ちは……、申し訳ないですが『なぜ私が?』と、納得いきませんでした。
でも、実際家はバラバラの状態で、兄は就職で地方に行ってしまっていて……。介護っていつまで続くかわからない不安があるので、すごく悩みました。1か月くらい悩んだかな。特にやりたい仕事もなかったので、両親の力になるならと祖母の介護に就職しようと決意しました」
大学を卒業後は祖母の介護中心の生活になります。最初は抵抗があった下の世話にも慣れ、母親も徐々に家庭のことをするようになっていき、笑顔が増えていったそう。そして、2年後に祖母が入退院を繰り返した末に病気で亡くなってしまいます。祖母の葬儀が行われ、しばらく経って落ち着いた時に父親からある話をされたと言います。
「父親から通帳を渡されました。『少ないけど、これでしたいことをしてほしい』と。私が介護していた2年弱、月10万円くらいの給料を合算した金額が入っていました。『ありがとう』って言いながら渡してくれたんですよ。あまりに嬉しくて泣いちゃいました」
律子さんはその後アルバイトをしながらネイルスクールに通い、資格を取得。ネイルサロンで働き出し、その後結婚したことで子育てをしながら自宅でネイルサロンを経営しています。律子さんは母親に対してどのような気持ちを持っているのか聞いてみると、「反面教師かな。親がしっかりしてないと子供がしっかりするんですよね。そこは良かったなと。母親は頼りないけど、父からも祖母からも、叔母からも愛されていました。その愛され力は見習いたいですね。今も両親は、夫婦水入らずの家で仲良くしています」と笑顔で語ります。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。