取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺ったのは、都内の貿易関係の企業で英語を使った仕事をしている真希さん(仮名・39歳)。神奈川県出身で、両親と2歳下に妹のいる4人家族。真希さんは過保護な両親の下で守られて育ち、両親が勧める女子高へ進学します。中学の部活動まで親の意見を取り入れたことに違和感は一切なし。それは否定的な発言を両親は一切しなかったからだと語ります。
「両親は私の意見を押さえつけるようなことは絶対に言いませんでした。それに私が納得するまですべて説明してくれた。外から見れば過保護だってことはわかっています。でも、父親はどんなに仕事が忙しかったとしても休日には家族との時間を作ってくれました。母親も私と妹が寂しい思いをしないようにいつも一緒にいてくれましたから」
ホームステイの料金は約100万円。両親は一度も反対せずに笑顔で送り出してくれた
真希さんは高校2年生の時にホームステイを経験。そのことがきっかけで海外というものに興味を持ち始めます。
「ホームステイは希望者だけで、夏休み期間にカナダやアメリカに行くものでした。私は当時から少し海外に興味があったので、真っ先に希望を出しました。高校生になるまで泊まりもダメだったので、もしかしたら両親に反対されるかもと思っていたんですが、意外とあっさり認めてくれました。留学期間は日本では体験できないものに触れ、とても有意義なものでしたね。後から知った話なんですが、その短期留学の金額はおよそ100万円。学校も私立だったのに、本当にお金のかかる子でしたね」
高校を卒業後はそのままエスカレーター式で付属の短大へ進学。短大時代の門限は23時だったそうですが、それを何度も破って怒られても、友人たちと遊ぶことがやめられなかったと言います。
「高校卒業後に外の大学へ進学することもできたんですが、友人と離れたくなくてそのまま付属に進みました。短大では、高校から仲の良い友人と夜遊びに目覚めてしまって(苦笑)。門限は23時だったのに気づいたらオーバーしていることが続き、夜中に家に帰ると、父親が玄関で仁王立ちで待っているんです。そのまま玄関に正座させられて、説教を受けていましたね。そんなことが何度続いても、私は友達と遊ぶのが楽しくて、何度も父に夜更かしをさせていました。短大から前もって申告したものに関しては友人宅への外泊が許可されていたので、2年くらいからは泊まると嘘をついて遅くまで遊ぶことを覚えましたね」
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