取材・文/柿川鮎子 写真/木村圭司

江戸時代の有名事件に登場した犬の糞

時代劇のお殿様やお代官様は物静かで威厳があり、羽目を外して大騒ぎするような人たちには見えません。たいていは奥に構えて、何か重要な案件があった場合に出てきて采配を振るう、そんなイメージです。しかし、江戸時代、実際に起きた出来事をまとめた続徳川実紀を読むと、お殿様たちの人間らしい、意外な一面を見ることができます。

徳川実紀 国立国会図書館アーカイブズ

特に出世にからむ嫉妬や嫌がらせによる事件が多く、武士もビジネスマンとまったく同じ人間だったのだと、つくづく感じさせられます。天明7(1787)年に勃発した「水上事件」は続徳川実紀だけでなく、杉田玄白編著の「後見草」でも紹介されているので、かなり多くの人々に知られた有名な事件だったようです。

■清廉な実力派の新人に対する嫉妬と憎悪

主な登場人物は上級旗本の水上美濃守(みずかみみののかみ)正信と大久保大和守(おおくぼやまとのかみ)忠元のふたり。水上が異例の出世で、11代将軍家斉の西城(にしのしろ)書院番頭という側近に大抜擢されたことから、事件が始まります。

水上は清廉潔白で、堅物な人物だったようで、抜擢された時、自分のプロジェクトチームの中では賄賂を受け取った人には仕事を与えないと宣言しました。田沼意次が失脚し、松平定信が登場した改革の時代でもあり、水上の「脱賄賂」宣言は時流に則ったものでもありました。しかし、大久保ほか6名の書院番頭は、ほとんどが賄賂を受け取っていたため、職場では嫌な空気が流れてしまいます。

水上の就任を祝い、水上宅で書院番が集まり、食事会が行われました。新人歓迎会を新人の自宅で実施するのが当時の慣例で、水上も嫌々ながら宴を開きます。しかし、当日、予定時間になっても、来客はなかなか現れません。特に水上嫌いの大久保は、いやがらせのように遅刻をしてきて、宴会は気まずい雰囲気の中でスタートします。

宴の途中、大久保は重箱に入った餅菓子を水上に差し出します。水上は「酒を飲んでるから、あとで」と断ります。断り方がまずかったのか、酒に酔っていたからか、大久保は「おれの菓子が食えねえのか」とばかりに、菓子を投げつけ、宴会場となった部屋の中で、暴れまわります。

大久保の爆発を見て、他の書院番頭も大暴れ。家宝の絵皿を割り、鳥籠の鳥を逃がしたほか、タンスなど家財道具を庭に放り投げ、水上の脇差の柄に味噌汁ぶちまける。大久保は障子を残らず破って壊し、食卓に並んだ杯に犬の糞を入れる始末。続徳川実紀では「杯盤に糞まで為し者有しを。後日に聞けば。潜に犬糞を持来りて。己が糞せしよふに為成せしといふ」と書かれており、犬の糞を前もって用意していたのです。

■大量に手に入った犬の糞

江戸時代、関西の人たちは江戸を揶揄して「伊勢屋稲荷に犬の糞」と歌に詠んだぐらい、江戸は伊勢屋と稲荷神社がたくさんあり、犬の糞が大量に落ちていました。それを拾って、宴の席に持ってきて、器に入れる、という嫌がらせを、上級旗本が思いついて実行した。その面白さ、滑稽さが、江戸の人々の笑いを誘いました。杉田玄白など多くの人々に語り継がれるエピソードとなった理由はもちろん、武士の嫉妬や確執にあったことでしょう。それに加えて、嫌がらせに使われた道具が犬の糞であった点も見逃せません。裃を着けて堂々たる風体の上級旗本と、犬の糞の取り合わせが、ユーモラスかつ滑稽なエピソードとして、人口に膾炙しました。

たくさんの野良犬がいて歩く人に吠えかかった(四時交加、鶴屋喜右衞門・寛政10( 1798)年)

事件を起こした大久保は御役御免と自宅謹慎、水上も自宅謹慎となりました。いつの時代も、出世にからむ人間関係は難しく、組織に新しい風を入れるのは至難の業のようです。一方、犬の糞は飼い主さんが持ち帰るというマナーが普及し、目につくことはほとんどありません。犬の糞は一掃されましたが、組織内での嫉妬や嫌がらせは、無くなる気配がありません。

文/柿川鮎子
明治大学政経学部卒、新聞社を経てフリー。東京都動物愛護推進委員、東京都動物園ボランティア、愛玩動物飼養管理士1級。著書に『動物病院119番』(文春新書)、『犬の名医さん100人』(小学館ムック)、『極楽お不妊物語』(河出書房新社)ほか。

写真/木村圭司

 

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