取材・文/柿川鮎子 写真/木村圭司

江戸時代の大ベストセラー|ペット飼育書から見た飼い主の意識と教養

江戸時代、社会が安定して人々の生活が豊かになってくると、一部の上流階級の楽しみであったペットの飼育が、武家や庶民など多くの人々の間に広まります。飼い主は愛するペットとの生活が一日でも長く続けられるよう、正しいペットの飼育管理に関する情報を求め、それに応じて、たくさんの飼育書が発刊されました。特に江戸のペットの代表格でもあった犬と金魚、ネズミに関する飼育書はベストセラーとして大人気でした。科学的根拠に基づいた飼育管理方法ではないため、間違った部分も見受けられますが、現在でも参考になる部分はたくさんあります。江戸時代の代表的なペット飼育書について紹介しましょう。

■終生飼育を世界に先駆けて訴えた「犬狗養蓄傳(いぬくようちくでん)」

江戸時代、最も人気のあった犬の飼育書・犬狗養蓄傳(いぬくようちくでん)は読本作家で絵師の暁鐘成(あかつきのかねなり)が執筆したベストセラーです。寛政5(1793)年、大坂西横堀福井町上で醤油醸造業を生業とする名家の妾腹として生まれた暁鐘成は、飼い主のために犬が罹りやすい病気やケガ、寄生虫の駆除からそれらに効く薬、餌の与え方まで、絵入りでわかりやすく紹介しました。

犬狗養畜伝(国立国会図書館アーカイブズ)では犬の薬についても解説

犬狗養畜伝(国立国会図書館アーカイブズ)では犬の薬についても解説

暁鐘成が並外れた愛犬家であることは、書物のあちこちから読み取れます。たとえば病気の犬の栄養管理に関しては、「消化しやすいものを食べすぎないように」と注意をした上で、「食欲のない時は食事の内容を変えたり、調理の内容を変えてみる。また、やり方や与える時間も変えてみてください」と細かく指示しています。「煮て食べない子は、お刺身など生なら食べるかもしれませんよ」とか「普段使いのお皿で食べなかったら、小さいお皿に入れ替えてみたり、飼い主さんの手から与えてみては?」と、病気の犬に、何とか食べて体力をつけてもらいたいと、しつこいほど熱心に教えています。

さらに、この本は世界に先駆け、飼い主に終生飼育を訴えています。「狗(いぬ)は則ち人間の小児と心得べし。その養い方悪しくして狂犬病犬と成り、人を咬むがゆえに遠き山野に捨てること不憫ならずや」と、最後まで飼い主さんが責任をもって飼育すべきだと主張しています。単なる犬の飼育管理を超え、飼い主など人が犬とどう向き合うべきか、動物愛護の思想を盛り込んだ、世界に類を見ない飼育書でした。江戸時代、多くの飼い主さんたちに受け入れられたのも、暁鐘成の筋の通った思想と、犬への深い愛情が伝わったからに違いありません。

■江戸の金魚ブームの火付け役「金魚養玩草(きんぎょそだてぐさ)」

江戸時代は犬のほかに、金魚の人気が高まりました。金魚は室町時代、中国から渡来し、一部の人々の間で「こがねうを」として珍重されていました。江戸時代になって庶民の間で爆発的に広まり、金魚ブームとなります。寛延元年(1748)年に出版された「金魚養玩草(きんぎょそだてぐさ)」は金魚に関する飼育書として、特に人気を集め、何回も再販され、大ベストセラーとなります。健康で良い金魚の見分け方や繁殖方法、食いつきの良いエサのつくり方、病気とその治療法など、細かな点まで幅広く、丁寧に網羅されています。

金魚養玩草(国立国会図書館アーカイブズ)の見どころは美しい挿絵

金魚養玩草(国立国会図書館アーカイブズ)の見どころは美しい挿絵

著者は安達喜之(よしゆき/きし)という和泉国(大阪府)堺の研究者です。安達が解説文を書き、同じく堺の奚疑(けいぎ)斎が補足説明を加えました。安達は金魚養玩草のほかにも「金魚秘訣録」などを発刊した金魚のプロフェッショナル。金魚の飼育方法を絵入りで具体的に紹介したペット本はそれまでになく、「金魚養玩草」はあっという間に大ベストセラーとして広まりました。この本のユニークな点は、「どういった金魚が良い金魚であるのか」、「どういう金魚を増やすべきか」という、良い金魚の指針を世に示した点にあります。

これまであまり金魚に詳しくなかった江戸の庶民や武士たちも、良い金魚の基準を、この本で知ることができました。普遍的な金魚のガイドラインができたことで、繁殖すべき金魚の指針が示されました。これを基に、武士が金魚を繁殖させて、数少ない現金収入を得る道筋ができたのも、大きな功績でした。生き物を自宅で飼育するという経験のなかった江戸の人たちも、この本のおかけで、ちいさな生き物と暮らす楽しさを知ることができて、金魚は浮世絵など江戸の文化にまで影響を与えるペットとなりました。

歌川国芳の金魚図では金魚が擬人化されている

歌川国芳の金魚図では金魚が擬人化されている

「金魚養玩草」は「犬狗養蓄傳」に比べると小さくて、新書版のように片手に収まるコンパクトサイズです。現代でも100万部以上売れる超ベストセラーは新書版に多いと言われていますが、手軽な大きさで持ち運びに便利な大きさだったのも、江戸の人々に受け入れられた理由の一つであったようです。安達の「金魚秘訣録」は現代書道家の山崎節堂(1896~1976年)が1958年に復刻させました。江戸に始まったアクアブームは、現代日本にも脈々と受け継がれています。

■エキゾチックアニマルの始まり? ネズミ飼育書

江戸時代のペットは犬や金魚のほか、猫や滝沢馬琴が嵌まった鳥(江戸の戯作者・曲亭馬琴の愛鳥家ぶりがわかる2つのエピソード)や昆虫などが代表的です。日本独自の変わったペットとして、明和年間(1764~71年)から人気を集めた、ネズミブームも見逃せません。安永4(1775)年にはネズミ飼育書「養鼠(ようそ)玉のかけはし」と天明7(1787)年発行の「珍翫鼠育草(ちんがんそだてぐさ)」が発刊されました。どちらも飼育管理方法と、珍しいネズミの品種が紹介されています。「養鼠玉のかけはし」では下記の通り、ネズミが縁起のよいペットであると紹介されています。

“大黒尊天のつかひとして。福徳をいのるにも。子の日をまつりて。祥(さいわひ)をくだす事多し。十二支には第一におよびふせられ。甲子とつらなりては。六十一年のわかがへりに。御代のつきせざるをたのしましめ。北の方 をつかさどりて。陰に位し。陰徳(いんとく) 陽報の理をしめし。子をうむ事多くして。子孫のたへざるをもて。孝 (かう)をすすめ。もとより。よはひ久(ひさ)しくして。老てますますすこやかなり。”

「養鼠玉のかけはし」(国立国会図書館アーカイブズ)では、籠の作り方にも言及した

「養鼠玉のかけはし」(国立国会図書館アーカイブズ)では、籠の作り方にも言及した

「養鼠玉のかけはし」の著者、春帆堂亭主についての詳細は不明ですが、そのネズミ愛は暁鐘成や安達喜之に負けていません。大黒様と十二支を引き合いに出し、飼えば「老いてますます、すこやかなり」と言い切っているところなど、ペットへの深い愛情に溢れていました。

江戸時代、これらの飼育書がベストセラーになったのも、人々の「ペットを正しく飼育したい」というニーズがあったからこそ。江戸の飼い主の意識の高さを示しています。また、どの本からも、正しい飼育方法を提唱しながら、著者のペットに対する深い愛情が伝わってきます。わが家のペットが可愛くてしかたがない、という気持ちは、時代を超えて不変なのかもしれません。我が家の愛しいペットと、ここに存在していること自体が、素晴らしい奇跡であることを、古い飼育書が教えてくれます。

文/柿川鮎子
明治大学政経学部卒、新聞社を経てフリー。東京都動物愛護推進委員、東京都動物園ボランティア、愛玩動物飼養管理士1級。著書に『動物病院119番』(文春新書)、『犬の名医さん100人』(小学館ムック)、『極楽お不妊物語』(河出書房新社)ほか。

写真/木村圭司

 

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