文/安田清人(歴史書籍編集プロダクション・三猿舎代表)

『麒麟がくる』も第7回にして、ついに織田信長(演・染谷将太)が登場する。これまで信長の父にあたる織田信秀(演・高橋克彦)が美濃や三河と再三にわたって合戦を繰り広げている様が描かれてきた。劇中に登場する若き信長の今後が楽しみだが、改めて当時の織田家が置かれた状況について、元『歴史読本』編集者で現在、歴史書籍編集プロダクション『三猿舎』の代表を務める安田清人氏がリポートする。

信長(染谷将太)の初登場は海。後年、信長は伊勢湾海運を掌握する。

織田信長と言えば、尾張国(愛知県西部)の大名からスタートした、と誰もが知っているに違いない。しかし、これは正確ではない。尾張の守護は斯波氏で、織田氏はその守護代だった。少し詳しい人なら、そう答えるだろう。だが、これも正しくない。

尾張国は八つの郡(丹羽、春日井、葉栗、中島、愛智、智多、海東、海西)によって成り立っている。そのうち北部の四郡を支配していたのは織田伊勢守家(岩倉城主)。南の四郡を支配していたのは織田大和守家(清洲城主)となる。

このうち大和守家の下に「三奉行」がいた。それぞれ織田因幡守・織田藤左衛門・織田弾正忠と呼ばれる。この「織田弾正忠」家に、信長は生まれた。つまり、二つに分かれた守護代家の、さらにその有力家臣だったに過ぎないのだ。

信長の父信秀は、「器用の仁」と呼ばれたという。この場合の器用とは、「器量」とほぼ同じ意味と考えられるので、なかなかの器量人、すなわち才覚も力量もある人物だったようだ。本拠としたのは、尾張西部の勝幡城。近くにある津島の港を支配下に置き、その経済力をもとに勢力を拡大していった。

京都御所の修築費用4000貫(1000貫説もあり)や、伊勢神宮の外宮の遷宮(お宮の引っ越し)費用700貫を寄付した記録があるので、大名並みの金持ちだったのだろう。

信秀は、徐々に東に勢力を伸ばし、ほぼ尾張の中央に位置する那古野城を手に入れ、門前町であり湊町でもあった熱田の町も支配下に置くようになる。

しかし、主筋である織田大和守家も織田伊勢守家の守護代家も健在で、信秀が尾張一国の領主となることは、とうとうできなかった。『麒麟がくる』劇中で、信秀は西三河(愛知県東部)や美濃(岐阜県南部)に勢力を広げようと再三にわたって軍事行動をとったが、ともに敗北を喫してしまう。

信長の名前が世にでるのは、ちょうどそのころ。父信秀が亡くなったのは、天文21年(1552)とされている。信長が織田家の当主となったのは、尾張が混乱のただなかにある時期だった。

安田清人/1968年、福島県生まれ。明治大学文学部史学地理学科で日本中世史を専攻。月刊『歴史読本』(新人物往来社)などの編集に携わり、現在は「三猿舎」代表。歴史関連編集・執筆・監修などを手掛けている。

 

 

 

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