近年、織田信長の人物像を見直そうという動きが、研究者の方の間でも顕著になってきている。大河ドラマ『麒麟がくる』の織田信長(演・染谷将太)も新たな信長像を打ち出して来ている。かつて歴史ファンを虜にし、全盛期には10万部を超える発行部数を誇った『歴史読本』(2015年休刊)元編集者で、歴史書籍編集プロダクション「三猿舎」代表を務める安田清人氏がリポートする。
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革命家、時代の寵児、天才戦略家、既存の価値観の破壊者、第六天魔王……といった従来の織田信長のイメージは、実証的な研究というよりは小説やドラマなどのフィクションの世界で、どんどん膨らんでいったものだろう。こうした信長像については、 古くは 歴史学者の故・脇田修さんが『織田信長 中世最後の覇者』(中公新書)でも警鐘を鳴らしている。
信長が実際に行なった政治・政策を見てゆくと、意外なほど守旧的だったり、中世由来の社会常識や既存の価値観に対して親和的であったりする部分が見えてくると、脇田さんは指摘していた。この本が刊行されたのは1987年。実に33年も前のことだ。「革新的」とされる信長像があまりに行きすぎていること、過大に持ち上げられていることに、懸念を抱いたのだろう。
その後、信長のイメージは「革新的だ」「いや、それほどではない」「やっぱり革命児だ!」「それは過大評価」といった、行きつ戻りつを繰り返し、現在に至っているように見える。
そんな揺れ動く信長の人物論で、近年、異彩を放ったのは、信長が意外なほど人を信じやすいお人好しで、同盟相手の戦国大名や家臣たちに何度も何度も裏切られ続けたという金子拓さん(東京大学史料編纂所准教授)の説だ(『織田信長 不器用すぎた天下人』河出書房新社など)。
確かに、信長は妹の夫浅井長政に裏切られ、いったんは同盟を結んだ武田信玄や上杉謙信、毛利輝元にも裏切られている。もちろん、信長の側にも原因はあるのだが。
そして、配下の部将にも裏切られている。その極めつけが明智光秀だが、その前に代表的な例として松永久秀や荒木村重にも裏切られている。
金子さんは、この二人の裏切りを知った信長が、すぐにはそれを信じようとせず、さらに彼らの「言い分」を聞いて善処しようとしていると指摘する。なるほど。部下に対して厳格・苛烈に接する専制君主像とは、だいぶ開きがあるようだ。
ここでは、なぜ信長は何度も裏切られたのか、なぜ同じ過ちを繰り返したのかということが論じられている。つまり、信長のパーソナリティが問題となっている。
信長はなぜ裏切られたのか
では視点を変えて、松永久秀や荒木村重は、なぜ信長を裏切ったのだろうか?
この問題について、一般的には「彼らが信長の怒りをかったから」「信長の恐怖政治に嫌気がさしたから」といったイメージで説明されることが多いと思う。
しかし、三重大学教授の藤田達生さんは、著書『明智光秀伝 本能寺の変にいたる派閥力学』(小学館)の中で、彼らの「謀叛」には、共通する動機付けがあったと主張している。それは、将軍足利義昭が要となって形成された「信長包囲網」との連携という動機付けである。
【 松永久秀が、最初に信長に反旗を翻したのは …。次ページに続きます】