大河『麒麟がくる』で続々刊行される「光秀本」でどの本を選ぶか?

筆者/安田清人(歴史書籍編集プロダクション三猿舎代表)

『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』(小学館刊 1300円+税 320頁)

『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』(小学館刊 1300円+税 320頁)詳細はこちら

藤田達生(ふじた・たつお)『明智光秀伝——本能寺の変に板会う派閥力学』がいよいよ刊行された。

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の放送が決まって以来、主人公である明智光秀について取り上げる書籍や雑誌の特集が引きも切らない。

しかし、本書の著者・藤田氏は、過去20年以上にわたり、「本能寺の変」と真正面から格闘してきた歴戦の闘士であり、本能寺の変研究のパイオニアでもある。要するに「年季の入り」が違う。

本書において、藤田氏は年来の光秀と本能寺の変についての持説をさらにパワフルに展開し、確かな史料に基づく肉付けを図っている。

その具体的な内容について分け入る前に、なぜ私がこの原稿を書くに至ったのかについて、少々ご説明したい。そもそも私は歴史の書籍や雑誌を手掛ける編集者であって、歴史の専門研究者ではない。にもかかわらずなぜ『明智光秀伝』に言及するのか。そのあたりの事情についても、説明が必要だろう。

今から23年前の1996年の初夏の頃、私は千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館で、当時、同館の考古研究系で助手をしておいでだった千田嘉博氏の研究室に足を運んでいた。千田氏は、城郭考古学の研究者で、現在は奈良大学教授となっている。当時、千田氏と進めていた仕事についてひと通り話を終えたとき、突然千田氏が語り出した。

「ねえねえ、安田さん、あれ読みました? フジタ・タッセーさんの論文」

フジタ・タッセー? 心当たりはなかった。千田氏いわく、名古屋大学に事務局を置く中世史研究会が発行している『年報 中世史研究』に、驚くべき論文が掲載されたという。

「タッセーって、どう書くんですか?」
「達するに生きる、って書くんですよ」

藤田達生……、織豊系城郭、すなわち織田信長や豊臣秀吉の統一政権によって、「規格化」された特徴を持つ、近世的な城郭について研究を発表し、丹波八上城についての論文を書いている研究者の方だというくらいの知識はあった。

「どんな論文なんですか?」
「本能寺の変の謎を解き明かした、という論文なんですわ」

もしこの論文に書かれている内容、論証が事実ならば、という但し書き付きだが、藤田論文は本能寺の変の真実を解き明かしてしまったというのだから驚きだ。

当時、私は月刊『歴史読本』という雑誌の編集部に身を置いていた。一般の歴史愛好者向けの雑誌で、織田信長は当時から歴史ファンに人気の人物だった。そして、その数年前には本能寺の変についての特集を組んだこともある。その特集では、歴史について詳しい作家の方に、本能寺の変についての自説を展開していただくという内容だった。

もちろん、本能寺の変について、独自の「説」を持っている作家の方が、それほどたくさんいるわけもない。しかし、雑誌としては、「〇〇が黒幕だった」「実は光秀は〇〇だった」という、読者の目を引くような多彩な切り口が欲しい。正直にいえば、編集者であるこちらから、書き手の方に「〇〇が光秀の陰で糸を引いていたという仮定で論じてもらえませんか」と「お願い」した方もいた。「作家的想像力で書いてみてください」「あくまでも思考実験ですから」というエクスキューズを用意して、かなり無理なお願いをしたケースもある。

その結果、その号の目次には「怨恨説」「野望説」といった光秀の動機を推理する切り口のほか、「羽柴秀吉黒幕説」「足利義昭黒幕説」「〇〇の陰謀説」といった、刺激的な見出しが並ぶことになった。

雑誌は、飛ぶように売れた。編集者としては、「してやったり」というところだが、いわゆる「陰謀論」を打ち出して読者の興味をあおったわけで、マッチポンプと言えなくもない。そのような「説」が歴史学的に説得力のあるものではないということは十分にわかっていたので、後ろめたさのような思いは残った。

●明智光秀、本能寺の変関連本の中では出自から違う

千田研究室に戻ろう。

千田氏いわく、この論文は、室町幕府最後の将軍にして、信長によって京を追われた足利義昭が、本能寺の変に関わっていて、光秀の後ろ盾となって信長殺害に至ったことを論証した内容だという。

「そりゃ本当なんですか」
「いや、この論文を読んだだけではまだ何とも言えませんが、そうとう面白い論文ですよ」

作家の方を、いわば「焚きつける」かたちで、本能寺の変をめぐる「陰謀論」の特集を作ってしまった身からすれば、れっきとした歴史研究者の方が、「本能寺の変の真相」について学術論文を書いたというだけでも、にわかには信じられない思いだった。

ただちに雑誌『中世史研究』を取り寄せた。論文名は「織田政権から豊臣政権へ——本能寺の変の歴史的背景」だった。一読、吃驚した。そこには、今回、刊行された『明智光秀伝』の研究の基礎となる研究がまとめられていた。さまざまな史料をもとに、明智光秀が単独で犯行に及んだのではなく、足利義昭などの「旧体制」との連携によって事件を起こしたことが示唆され、それが時代の変革、まさに「織田政権から豊臣政権へ」の移行というパラダイムシフトの実相を描き出す試みがなされていた。

歴史を手掛ける編集者として、これを黙って見過ごす手はない。さっそくこれを書籍にしたいとおもいたったのだが、すでに触れたように、私は歴史雑誌の編集者であり、それが当時、所属していた出版社の基幹商品でもあったことから、雑誌作りと並行して書籍をつくるというのは、そう簡単なことではなかった。私はまだ経験の浅い20代の編集者であったのでそのハードルを飛び越えるほどの実力も政治力もなかったのだ。

とはいえ、この藤田論文の衝撃はやがて出版界に広まるに違いない。歴史の本を手掛ける編集者であれば、必ずや書籍化を狙ってくる。どこの誰かもわからない編集者に持っていかれるのは、いかにも口惜しい。そう思った私は、それからしばらくして、かつての同僚で、当時は雄山閣出版という出版社に在籍していたU氏に連絡をし、藤田論文の衝撃を伝えた。ちょうど新しい書籍企画を求めていたU氏は、この話に飛びついてくれた。

もちろん、論文をそのまま書籍にするといった簡単な話ではない。曲折を経て、同社から『本能寺の変の群像―中世と近世の相剋―』と銘打った書籍が刊行されたのは、2001年のことだった。

その後、藤田氏は『謎とき本能寺の変』 (講談社現代新書。2003年。現在『明智光秀』〈講談社学術文庫〉に改題)、『証言本能寺の変——史料で読む戦国史』(八木書店。2010年)、『信長革命——「安土幕府」の衝撃』 (角川選書。2012年)、『織田信長——近代の胎動』 (山川出版社・日本史リブレット。2018年)といった著書において、明智光秀、織田政権、そして本能寺の変についての学説を研ぎ澄ませてきた。

こうした研究蓄積の結果として、『明智光秀伝』は誕生した。

世にはびこる、本能寺の変の「黒幕説」「陰謀論」とは、「出自」からして違うということは、ご理解いただけるのではないか。

『明智光秀伝』の取材で訪れた岐阜県山県市で(写真右が藤田達生氏)。斎藤道三と土岐氏の激しい戦闘での犠牲者を供養する「戦死六萬墓」前で郷土史家・西村覚良さんの説明を聞く。

『明智光秀伝』の取材で訪れた岐阜県山県市で(写真右が藤田達生氏)。斎藤道三と土岐氏の激しい戦闘での犠牲者を供養する「戦死六萬墓」前で郷土史家・西村覚良さんの説明を聞く。

安田清人安田清人/1968年、福島県生まれ。明治大学文学部史学地理学科で日本中世史を専攻。月刊『歴史読本』(新人物往来社)などの編集に携わり、現在は「三猿舎」代表。歴史関連編集・執筆・監修などを手掛けている。

 

 

 

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