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筆者/安田清人(歴史書籍編集プロダクション三猿舎代表)

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『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』(小学館刊 1300円+税 320頁)

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藤田達生『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』(小学館)は、本能寺の変の真相や、その歴史的な意義について20年以上にわたり考え続けてきた著者の、「本能寺の変論」の集大成ともいうべき成果といえる。

藤田氏は、本能寺の変研究に踏み込んで以来、一貫して「怨恨説」や「野望説」と距離を置いてきた。明智光秀が信長に酷い仕打ちを受けた「個人的な怨み」を晴らそうとしたのでもなく、自らが天下人になりたいという「個人的な野望」を果たそうとしたのでもない。

この日本史上最大にして、もっとも成功したクーデタである本能寺の変を説明するのに、このもっともコンテンポラリーな「動機」で説明をすることを拒否してきた。

もちろん、絶対の証拠はないのだから、光秀が個人的なモチベーションで、感情に任せて主君信長を討ってしまった可能性はあるだろう。誰とも連携せずに、「たまたま」たった一人で発作的に信長を討とうと考えたのかもしれない。

「たまたま」軍勢を引き連れずに信長が京都にいた。「たまたま」嫡男の信忠も京都にいた。「たまたま」絶好の機会到来! と舞い上がった光秀が、だれにも相談も連携もせずに、個人的な思いを遂げるために思わず謀反を起こした可能性だってある……。

はて? 本当にそんな可能性があるだろうか。
そんなに「たまたま」が重なるものだろうか。

本能寺の変の結果、信長の盟友・徳川家康を含む織田軍団は、秀吉の軍を除き「たまたま」どの部隊も大混乱に陥った。すぐには明智討伐の出陣もできない。信長との関係悪化によって「四国討伐軍派兵」の危機に見舞われていた長宗我部元親は、「たまたま」信長が死んでくれて、急死に一生を得た思いだったろう。

信長に恨み骨髄の足利義昭は、身を寄せていた毛利方が秀吉の切り崩し工作で分裂状態となり頼りにはならなかったので、「たまたま」信長死すの知らせに欣喜雀躍したことだろう。

それも「たまたま」?
それも「天祐」?

結果から歴史を語るのはご法度だといわれる。本能寺の変の結果、もっとも得をしたのは秀吉だから「秀吉が黒幕だ!」と短絡するのは、まさに結果から導き出した推論にすぎず、典型的な陰謀論だろう。

明智城跡からかつて明智荘だった地域を望む。『麒麟がくる』では、明智荘が光秀の出身地に設定されている。

明智城跡からかつて明智荘だった地域を望む。『麒麟がくる』では、明智荘が光秀の出身地に設定されている。

●本能寺の変をめぐる構造が明らかに

一方で、「たまたま」がいくつも重なる可能性の低さを考慮せずに、絶対の証拠がないから「たまたま」は「たまたま」に過ぎないと言い張るのもどうか。それは事件が起きるまでに何があったとしても、結果は同じ=本能寺の変が成功したという「結果」を絶対視する「宿命論」のようなものではないだろうか。歴史上の「結果」とは、もっと不確実性を孕んだものだったのではないのか。

光秀が「かくかくしかじか」の理由で、「誰それと手を組んで」犯行に及んだと明確に語る史料は、いまのところ見つかっていない。そもそも主君暗殺、そして暗殺犯の討伐という一連の事件の性質からして、明確で絶対の証拠など出てこない(隠滅された)と考える方が自然だろう。

だとすれば、「たまたま」だろうと「たまたま×2」だろうと「×3」だろうと、本能寺の変は成功した。連携の絶対的な証拠はない。だから「単独犯だ」――とするのは、いささか慎重に過ぎるのではないか。もっと言えば、思考停止のきらいはないだろうか。

もう一点。さきほどの「たまたま」が本当に偶然の重なりだとするならば、光秀とはなんと愚かな武将だろう。そして、その愚かな武将の愚かな判断が大成功を収めてしまったのだから、日本史上最高のラッキーボーイということにもなる。少なくとも光秀打倒を掲げた秀吉が畿内に戻ってくるまでは……。

光秀は愚かだけど運のいい奴だった……。本当かね?

そして、信長に仕えてわずか10年ほどで政権の重要閣僚としての地位を実力で獲得した光秀の「人生をかけた勝負」としては、あまりにもお粗末ではなかろうか。

「たまたま」を「たまたま」として放置できない藤田氏は、本能寺の変を読み解くアプローチの方法として、一貫して「構造的な把握」を心がけてきたと評者は思っている。個人の「思い」や「事情」や「都合」を軽視するわけではない。

しかし、時代を動かし国制の転換(あるいは国家転覆)を図るような大きな出来事の場合、その背後に何らかの時代的な要請があったはず。それを客観的に考察するためには、権力がなぜ滅んだか、なぜ別の権力に取って代わられたか。難しく言うと、国制の転換がなぜなされたのかを見つめる必要があると、藤田氏は研究の土台においていたのではないか。

そして導きだされたのが「安土幕府」という概念であり、本能寺の変をめぐる「構造」を明らかにしたのが、本書の195ページに掲載されている「本能寺の変直前の光秀・秀吉派閥関係図」といえよう。

四国の支配をめぐる「長宗我部元親」と「三好康長」の対立。織田政権の拡大と変質を背景とする「明智光秀」と「羽柴秀吉」の対立。そして、武家政権の正統(正当)をめぐる「足利義昭」と「織田信長」の対立。

この「対立の三層構造」こそが、本能寺の変をめぐる基本構造だということになる。信長という絶対的な権力者の行動が様々な矛盾と対立を呼び起こした結果、「対立の三層構造」が生まれる。その矛盾が臨界点を超えたときに起きたのが、本能寺の変だというわけだ。

つまり、本能寺の変を実行したのは光秀だが、その背景には「元親―光秀―義昭」というラインが見えてくるのだ。

実は、この結論の根幹となる部分は、藤田氏が23年前に『年報中世史研究』に論文を書いて以来、ほとんど変わっていない。しかしこの23年の間に、藤田氏は新たな史料の発見や論証の積み重ねによって自説を補強し、練り上げてきた。

しかも藤田氏は、実際に信長や光秀にゆかりの地のほとんどに足を運び、それぞれの土地が持つ地政学的な意味を肌で実感してきたという。そこまでしても、結論の根幹は変わらない(練り上げ、磨き上げられたとはいえ)のだから、歴史家の営みとはなんと地道で先の長い作業なのだろうと、気が遠くなる思いがする。

そして、本書で展開される藤田説が、鬼面人を驚かすたぐいの「新説」とは程遠い、20年以上の時をかけて熟成された「極上の美酒」であることがお分かりいただけるのではないだろうか。

まもなく光秀を主人公とする大河ドラマ『麒麟がくる』の放送が始まる。シラフで見るのも結構だが、この「美酒」を嗜みつつドラマを味わうのも、歴史好きの醍醐味に違いない。

岐阜県可児市の明智城跡を取材中の藤田達生氏(2019年7月)。

岐阜県可児市の明智城跡を取材中の藤田達生氏(2019年7月)。

安田清人安田清人/1968年、福島県生まれ。明治大学文学部史学地理学科で日本中世史を専攻。月刊『歴史読本』(新人物往来社)などの編集に携わり、現在は「三猿舎」代表。歴史関連編集・執筆・監修などを手掛けている。

 

 

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