「こげんお人じゃなかった」と口ばしった糸夫人

西郷が三度目の結婚をしたのは、慶応元(1865)年、39歳のときである。相手は、家老付きの書記をつとめる岩山八郎太の次女・糸で、16歳年下だった。このころ、西郷はすでに薩摩志士の中心人物として、他藩にまで知られる存在となっている。国事に奔走する身として、後顧のうれいなく家を任せられる女性が必要だったのだろう。

事実、糸は留守がちな夫にかわって全力で西郷家をささえる。かの坂本龍馬も糸に信頼を寄せ、彼女なら妻・お龍(りょう)の身を託せると書簡のなかで述べているのだ。維新後も、西郷の弟・吉二郎の遺族や奄美から呼びよせた菊次郎と妹・菊子、自らの生んだ子どもたちなどから成る大家族を守りぬいた。西郷も齢のはなれた妻を慈しんでいたようで、結婚生活を通じて叱られたことはほぼないと糸自身が語っている。最後に夫と顔を合わせたのは、西郷が西南戦争に出陣する明治10(1877)年2月。7か月後、西郷は城山で命を終えるが、その10日前に夫の居所を知った糸は、激戦のなかを縫って、衣類などを届けさせたという。

そして、よく知られたエピソードだが、はるか後の明治31(1898)年、西郷の復権もすでに成り、上野で銅像の除幕式が催されたときのことである。糸は夫の像を見て、「こげんお人じゃなかった」と口ばしったのだ。これが原因で西郷の容貌をめぐる論争が現在までつづいているのだが、ここには誤解があった。糸は「こげん顔じゃなかった」とは言っていないのである。彼女の知る西郷は、だれに対しても謹厳・丁重で、上野の像のようにくつろいだ姿で人前に出る男ではなかったというのが真意だとされている。現在の視点から見ればラフな西郷も魅力的だが、英雄の妻として生きた糸には、ゆずれない部分があったのだろう。彼女は大正11(1922)年、東京で数え80歳の天寿をまっとうした。

3人の妻たちは、それぞれ違う時期とかたちで西郷隆盛と人生をともにした。おそらく彼自身、女たちに見せていた顔は少しずつ異なるものだったろう。志士としての公的な生涯からでは決して見えてこない、奥ゆきある人間像が女性たちとの生活を通してうかがえるように思うのである。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』(いずれも講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

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