娘婿は吉田茂――二・二六事件では標的に

明治42(1909)年に牧野の長女が嫁いだ相手が、吉田茂(1878~1967)だった。言わずと知れた戦後の大宰相だが、結婚した当初は一外交官で、「牧野伸顕の女婿」という肩書には大いに助けられたという。さらにいえば、吉田の娘・和子が実業家の麻生太賀吉に嫁いでもうけたのが、第92代総理大臣をつとめた麻生太郎氏だから、大久保利通から牧野を経た血脈は、現代まで連綿と続いているわけだ。

が、その吉田(麻生)和子が命の危機にさらされたことがある。かの二・二六事件では前年に政界を引退していた牧野も標的となり、静養先の湯河原で襲撃された。ちょうど遊びに来ていた和子ともども危ういところで旅館を脱出、山中に逃げてかろうじて一命をひろったのである。まだ結婚前のことだから、ここでもし和子になにかあったら、われわれが目にする現在の政治状況は、かなり違った色あいをおびていたことだろう。

ちなみに、吉田茂の長男が、作家・英文学者の吉田健一である。独自の文体で今なお熱心なファンを持つ書き手だが、牧野に言及した文章もいくつか残している。さらには、健一をつうじて評論家の小林秀雄などとも親交があったというから、ここまでくると、血脈・人脈の華麗さに呆然となってしまう。

大戦を生きのびた牧野は、昭和24(1949)年に87歳で没した。政界を引退する折には昭和天皇が涙をながして惜しんだというし、戦後も助言をもとめて官僚たちが疎開先の柏(千葉県)まで足をはこんだ。

現役の政治家時代、牧野は自分と反対の意見もあたまから否定することはせず、まず最後まで聞いてのち、みずからの判断をのべていた。これは亡父・大久保利通のやり方と同じである。また、臨終に際して「世の中で一番難しいのは無私になること」と言い残しているが、大久保も無私を貫いた政治家であり、あれほどの高官でありながら、その死後、財産と呼べるようなものは何も残されていなかった。

牧野は亡父の姿勢を人生の指標としていたのかもしれない。筆者には懸命に、そして誠実に偉大な父へ近づこうとしたように思える。これほどの人材と血脈がまわりへ集まったのも、そのひたむきな生き方が引きよせたように感じられてならないのである。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。著書に受賞作を第一章とする長編『いのちがけ 加賀百万石の礎』(講談社)がある。

『いのちがけ 加賀百万石の礎』(砂原浩太朗著、講談社)

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