文/萩原さちこ

盛岡城跡公園(岩手公園)として整備されている盛岡城(岩手県盛岡市)。城に近づけば、否が応にも壮大な石垣が目に入ってきます。

東北地方には、これほどまでに高い石垣で囲まれている城は数えるほどしかありません。石垣の城は西国で発達し、おもに豊臣秀吉のもとで築造技術を磨いた西国の大名によってつくられていたからです。

盛岡城は城地が花崗岩であるため石材の調達ができる、という理由もありますが、築城の背景を紐解けば、やはり西国の大名との関連が見出せます。じつは盛岡城は、秀吉から築城を命令され築かれた、豊臣政権の奥州支配拠点に置かれた城のひとつだったのです。

■秀吉政権下で築城された盛岡城

盛岡城を築いたのは、三戸南部氏26代・南部信直です。三戸南部氏は24代晴政の頃、室町幕府や織田信長と親交を結び戦国大名に台頭した一族。信直は家督相続をめぐる九戸政実との内部抗争中においては信長・秀吉の家臣である前田利家に接近し、秀吉への臣従を表明することで領主権の正統性を主張する外交策を取りました。同時期に津軽地方で勢力を拡大していた大浦(津軽)為信との対立も、秀吉政権下に入ることで乗り切っています。

1590(天正18)年、秀吉が天下を統一し東北支配(奥州仕置)を行うと、東北地方各地では旧領主たちの一揆が勃発しました。このうち、信直と対立していた九戸政実による九戸一揆(九戸政実の乱)に派遣されたのが、豊臣配下の浅野長吉と蒲生氏郷でした。

この浅野長吉こそ、盛岡城づくりを指南した人物です。制圧後の大坂への帰途に盛岡城の前身である不来方城(こずかたじょう)へ立ち寄り、南部信直に築城を勧めたといわれています。基本設計からすると、長吉が設計したようです。

築城工事は、信直の命を受けた嫡男の利直により「割普請」で進められました。割普請とは、工事に携わる人員をいくつかの組に分け、進度を競わせて合理的に進めるやり方のこと。これも秀吉政権下の城づくりで行われたシステムであり、秀吉政権の存在が感じられるところです。

巨大な石垣を築ける石工職人を登用できたのも、前田・浅野・蒲生氏らのつてがあってこそでしょう。そして南部氏は石垣に詳しい浪人を召し抱え、石垣の築造技術を習得していったようです。

しかしよく見ると石垣そのものは、南部氏のオリジナル性が高いものです。南部氏は江戸から石工棟梁を招き入れたり、あるいは築造技術を学ばせるべく庭師を江戸へ派遣したり、あの手この手で技術を集約し、独自の壮大な石垣を築いていったようです。

■多様な石積みの見比べも楽しい

築城期間が長く時期が分かれるため、さまざまな積み方の石垣が混在しているのも、この城の石垣の魅力です。石垣の加工技術は時代が下がるにつれ向上するため、石垣の表面を見れば築造時期の違いもわかるのです。反りの角度もさまざまで、石垣の表情を見比べるだけでも飽きません。

本丸東壁の野面積(のづらづみ)の石垣が、慶長期の築城時に南部利直により築かれたとされる石垣です。城内の石垣のほとんどは打込接(うちこみはぎ)ですから、比較するとその違いがわかるでしょう。

築造の年代観は3時期に大別できます。たとえば、二の丸西壁の石垣が1680年代と考えられる布積(ぬのづみ)で、本丸下段腰曲輪の石垣は1610年代の乱積(らんづみ)を復元したものです。

巨石が散りばめられて芸術的な雰囲気を醸し出しているのが、大手虎口周辺の石垣です。盛岡城の代名詞でもある御車門前の岩盤と石垣の共演は、石材をふんだんに有する盛岡城ならではの造形美。自然と融合する雄姿は、城ファンなら一度は見てみたい憧れの光景でもあります。

*  *  *

秀吉政権の影響下で築かれた北の名城・盛岡城。訪れた際は、ぜひその壮大な石垣と、積み方の違いにご注目ください。

文/萩原さちこ(はぎわら・さちこ)
城郭ライター・編集者。小学2年生で城に魅せられる。青山学院大学卒業後、広告代理店や制作会社を経て独立。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座など行う。おもな著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波書店)、『図説・戦う城の科学』(SBクリエイティブ)、『江戸城の全貌』(さくら舎)など。 東京都生まれ。公益財団法人日本城郭協会学術委員会学術委員。 公式サイト「城メグリスト」http://46meg.com/

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