秀吉の鳥取城攻めでは餓死者が続出!戦国時代の残酷な「城攻め」あれこれ

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軍事施設としての城の楽しみ方をご紹介するこの連載。

前回の記事「なぜ信長は鉄砲を導入できた?築城史の転換期“長篠の戦い”舞台裏」では、築城史の転換期である長篠の戦いについてお話ししました。

この戦いのように、戦国時代には城が合戦の舞台になることが多くあったのです。そこで第2回目は、戦国時代における城攻めの戦法を取り上げようと思います。

■相手を心理的に追い込む「兵糧攻め」や「もぐら攻め」も

城を攻めるというと、大勢の兵で正面から攻め込むようなイメージがありますが、城攻めの方法はそれだけではありません。

例えば籠城側の兵糧輸送経路を遮断し、飢餓状態に追い込む「兵糧攻め」。これは時間がかかりますが、直接戦うことがないので味方の犠牲を最小限に抑えることができます。

史上最悪の兵糧攻めといわれるのが、羽柴秀吉による鳥取城攻めです。このときは兵糧の輸送ルートだけでなく、援軍の侵入ルートも完全に包囲したため城内は餓死者が続出する悲惨な事態となったのです。

また秀吉は備中高松城(岡山市)を攻める際には、城の周りに堤防を作り、川の水を引き込んで城を水没させる「水攻め」を行いました。このときは梅雨の増水も重なり、城はあっという間に孤立無援の浮城となったといわれています。

武田信玄が得意としたのは「もぐら攻め」。これはトンネルを掘って地下から城内へ侵入し、水源となる井戸を破壊したり、毒を入れたりするもの。

地下での動きは相手に恐怖を与えるという心理効果もあるのです。武蔵松山城(埼玉県吉見町)攻めではトンネル内で爆発作戦を行ったという伝説も残っています。

戦国時代にはこのような方法以外にも、生首をさらして相手の戦意を喪失させる「脅迫」や、城下を焼いて敵を誘い込む「おびきだし」、貢物を贈って寝返らせたり、噂を流して内部分裂を起こさせるなどの「内応・策略・調略」も行われたりしていました。

■水の確保は城の生命線なので城内にはいつも井戸が

籠城の際に必要不可欠なのは飲料水。水がなければ命をつなぐことができません。そのため、城の中には区画ごとといっていいほど、いたるところに井戸が設置されています。

山城の場合は池のような大規模な井戸が多いようです。上杉謙信の居城である春日山城(新潟県上越市)には直径6m、深さ10mもの巨大な円形の井戸があります。

熊本城に120もの井戸があったとされるのも有名な話。

慶長の役で餓死寸前の経験をした加藤清正は、兵糧の備えを重要視し、土塀にはカンピョウ(干瓢)、畳には芋茎を埋め込むという徹底ぶりでした。

また、緊急時に食料となる銀杏の木が多いことから「銀杏城」とも呼ばれています。

*  *  *

観光などで城めぐりをする際は、井戸にも注目してみるとよいかもしれません。

次回も、教科書にはあまり出てこない、城にまつわる様々なトピックをお届けします。 詳しくはぜひ、『図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて』をご覧ください。

取材・文/平野鞠
監修/萩原さちこ

萩原さちこ(はぎわら・さちこ)
1976年、東京都生まれ。青山学院大学卒。小学2年生で城に魅せられる。 大学卒業後、出版社や制作会社などを経て現在はフリーの城郭ライター・編集者。 執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座、ガイドのほか、「城フェス」実行委員長もこなす。 おもな著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、 『お城へ行こう! 』(岩波ジュニア新書)、『今日から歩ける 超入門 山城へGO! 』(共著/学研パブリッシング)など。 公益財団法人日本城郭協会学術委員会学術委員。

【参考図書】
『図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて』
(萩原さちこ・著、本体1,100円+税、SBクリエイティブ)

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