文・写真/佐竹敦
世界遺産の合掌造りの集落で有名な岐阜県の白川郷に、「帰雲城(かえりくもじょう)」というお城があったことは、あまり知られていないでしょう。実はこの城、大地震により山が大崩落して一夜にして大量の財宝と共に埋没し跡形もなく消滅してしまったという、まさに日本のポンペイ(ヴェスヴィオ火山の大噴火による火砕流によって地中に埋もれた古代都市)ともいうべき運命をたどった悲劇の城なのです。
現在どうなっているのか、実際に現地を訪ねてみました。
白川郷といえば世界遺産の合掌造りの集落で有名な集落。帰雲城はそんなあのあまりにも有名な白川郷にあったとされるお城です。
かつて帰雲城があったとされる場所は、白川郷から南に5キロくらいのところにあります。
帰雲城趾の石碑は国道156号線からすぐのところに建てられています。
帰雲城趾の石碑がある後ろの山が帰雲山(かえりくもやま)です。その名の由来は「流れる雲は常にこの山頂に至りもと来た空に帰る」ためだといわれています。何とも得もいわれぬ幻想的な雰囲気とロマンを感じさせる山です。
天正13(1585)年旧11月29日の深夜、東海・北陸・近畿に及ぶ広範な地域を襲った巨大大地震により、帰雲城趾の石碑の後ろに写っている帰雲山が大崩落しました。それに巻き込まれる形で麓にあった帰雲城は埋没してしまい、影も形もなくなってしまったと言われています。
帰雲山の大崩落箇所。完全に山肌がえぐられています。いかにスゴい大崩落だったのかがよくわかります。
この大地震により、帰雲城とその城下町は一夜にして埋没・消滅し、時の城主・内ヶ島氏理を含む数百人が一瞬にして生き埋めになったとされています。
実は現在でも帰雲城がどこにあったのかは正確にはわかっていません。白川郷を流れる庄川の右岸にあったのか、左岸にあったのかさえもわかっていません。
帰雲城趾の石碑は、地勢・堆積土砂等から推定・推測した場所に建てられているものです。
今となっては、帰雲城主であった内ヶ島氏の出自・系譜なども諸説あり、正確なことがわかっていません。埋没前の帰雲城の所在地も正確な位置も判明してないこともあわせ、現在でも「幻の帰雲城」と言われています。
残っているものは何もありませんが、内ヶ島氏の領内には金山があったことから、帰雲城には大量の金銀財宝も一緒に埋まっているという埋蔵金伝説が、現在まで語り継がれています。
世界遺産・白川郷を訪ねる機会があれば、謎とロマンに満ちた帰雲城跡にも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。まだ発掘されていない幻の帰雲城の遺構と埋蔵金を発見することができたら、億万長者になれるかも知れませんよ!
文・写真/佐竹敦
日本全国の即身仏・一之宮・五重塔・三重塔・滝百選・棚田百選・国分寺跡をすべて訪ね歩いた一人旅の達人。テレビチャンピオン滝通選手権出場。主な著書に「この滝がすごい!」「日本の滝めぐり」等。テレビ東京の「厳選!いい宿ナビ」のコラム執筆、@nifty温泉の記事執筆等、ライターとしても各メディアで活躍中。