文/晏生莉衣
世界中から多くの人々が訪れるTOKYO2020の開催が近づいてきました。楽しく有意義な国際交流が行われるよう願いを込めて、英語のトピックスや国際教養のエッセンスを紹介します。
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日本で熱戦が繰り広げられてきたラグビーワールドカップ。出場チームの国歌からそれぞれの国について紹介するのも今回で最後です。(英語アルファベット順)
「Scotland(スコットランド) 『Flower of Scotland』」
スコットランドには正式な国歌はないものの、国歌のような扱いで歌われているものがいくつかあります。ラグビーの国際試合の前で斉唱されるのが『Flower of Scotland』(スコットランドの花)です。スコットランドの国花はアザミ。これは、13世紀にスコットランドを侵略しようと夜の闇にまぎれて攻め込んできたノルウェー軍の兵士が、アザミの棘を素足で踏み、あまりの痛さに叫び声を上げたことからスコットランド兵が敵に気づいてその侵攻を防いだという言い伝えが由来とされています。ですから、その曲名にはスコットランドを守るという思いが込められているのですが、内容的にはこの戦いではなく、14世紀にスコットランド侵攻を図った英国のエドワード2世率いる軍隊をスコットランド軍が撃退したことが題材になっていて、「高慢なエドワードの軍に立ち向かい/野望を捨てさせ、退却させた」と誇らしげに繰り返して歌います。
1960年代にスコットランドで人気だったフォークバンドが演奏したこの曲が愛国歌となった背景には、スコットランドとの別の戦いに関する歌詞を含む英国の国歌『God Save the Queen』を歌うことへの抵抗感(レッスン27のイングランドの国歌を参照)や英国からの独立を望む声など、連合王国UKならではのむずかしい事情が伺えます。1990年代にラグビー代表チームのアンセムとして使われるようになり、サッカーの代表チームもそれに続きました。通常、試合前の斉唱では1番と3番が歌われます。
「South Africa(南アフリカ) 『National Anthem of the Republic of South Africa』」
1994年に黒人として初めて南アフリカ大統領に就任したネルソン・マンデラ大統領は、まず2つの国歌を制定しました。1つは1897年に先住民族言語の1つのコサ語で書かれ、ズールー語やソト語でも歌われるようになった賛美歌で、アパルトヘイト(人種隔離政策)に対抗して黒人開放運動が行われる中、反アパルトヘイトの歌として歌われるようになった『Nkosi Sikelel’ iAfrika』(「神よアフリカに祝福を」という意味)です。もう1つは白人政権時代の国歌だった『Die Stem van Suid-Afrika』(アフリカーンス語で「南アフリカの叫び」という意味)とその英語版『The Call of South Africa』です。その翌年、南アフリカで開催された第3回ラグビーワールドカップ開会式の国歌斉唱では、民族融和を進める意図から2つの国歌が1つに編曲されて歌われました。南アフリカはそれまで、アパルトヘイトへの制裁としてスポーツの国際大会への参加を禁じられており、ラグビーワールドカップへの参加はこの自国開催の大会が初出場でしたが見事優勝を収め、スタンドで観戦していたマンデラ大統領を始めとする南アフリカの観衆が大熱狂しました。この劇的な出来事は映画にもなりましたのでご存知の方も多いでしょう。
5つの言語で歌われるユニークな国歌は、先住民族の諸語で書かれた前半では「主よ我らと我らの国を守り給え」と、祖国への神の祝福と加護と願い、白人言語で書かれた後半では南アフリカの広大な自然を描きながら、「ともに自由を守りゆこう」と呼びかけます。1997年にはこの合体ヴァージョンが正式な国歌に制定されたものの、黒人は前半だけ、白人は後半だけしか歌わないという事態が生じることに。それでも人種の違いを超えて国が1つになるために続けられた努力によって、今では選手や監督スタッフ、応援団、誰もが始めから終わりまで国歌を力いっぱい斉唱する姿がラグビーワールドカップでの当たり前の光景となっています。
「Tonga(トンガ) 『Ko e fasi ʻo e tuʻi ʻo e ʻOtu Tonga』」
トンガ語の国歌名を訳すと「トンガ諸国の王の歌」。その名のとおり、トンガは南太平洋の171もの島々からなる王国です。国歌は1875年の憲法制定で立憲君主制を確立した際に制定されました。歌詞に名前が出てくる当時のTupou(トゥポウ)国王はキリスト教への改宗者で、キリスト教を国教と定め、国歌も「万能の神よ/貴方は我らの神/貴方は我らの柱、トンガへの愛」と歌詞、メロディともに賛美歌同様です。現在、人口約10万人のほとんどがポリネシア系トンガ人のキリスト教徒です。1900年に英国の保護領になったものの完全に自治権を失ったことはなく、1970年には南太平洋の島嶼国の中では唯一、独自の君主を持つトンガ王国として独立しました。公用語はトンガ語と英語です。
今回のワールドカップでは日本とはプールが違ったため、日本との直接対決はありませんでしたが、トンガは日本のラグビーと大変深いつながりがあります。これまで多くのトンガ出身の選手が日本代表チームのメンバーとして日本のために奮闘してくれました。今大会では、日本国籍となった中島イシレリ選手、ヴァルアサエリ愛選手、ヘルウヴェ選手に加え、アマナキ・レレイ・マフィ選手、アタアタ・モエアキオラ選手という5人のトンガ出身の選手が代表入りしました。
「Uruguay(ウルグアイ) 『Himno Nacional de Uruguay』」
南米では特別な国歌名がつけられていない国が多く、ウルグアイの国歌名も訳すと「ウルグアイの国歌」。公用語のスペイン語で書かれています。出だしの歌詞「Orientales」(オリエンタレス)は「東方人」の意味でウルグアイの人々のことを指します。なぜ東方なのかというと、ウルグアイ川の東側に国土が広がっていることに由来しており、国名も日本語での正式呼称は「ウルグアイ東方共和国」(スペイン語ではRepública Oriental del Uruguay)です。
大西洋に面し、スペイン領だったアルゼンチンとポルトガル領だったブラジルと国境で接する比較的小さな国で、隣国とその旧宗主国からの干渉を長く受けました。1828年に独立し、その独立戦争を描いた歌詞に曲がつけられて1840年代に国歌として制定。祖国の自由のために戦った同志を讃えて、「祖国か、墓か!/自由か、栄光の死か!」「我らは勇敢に成し遂げる!」と、勇ましい歌詞をアップテンポの行進曲に合わせて歌います。11番まであり、1番を歌うだけでも5分近くかかるという大変長い国歌なので、今大会では一部のみが斉唱されています。人口の約90パーセントがヨーロッパ系移民ですが、同じ南米からの出場国でもイタリア系移民の多いアルゼンチンと違い(レッスン27のアルゼンチンの国歌を参照)、スペイン系移民がマジョリティです。
「USA (United States of America:アメリカ合衆国) 『The Star-Spangled Banner』」
国歌名はアメリカ国旗「星条旗」を意味します。1776年の独立宣言後に起こった第二次米英戦争と呼ばれる戦い(the War of 1812)で、砦に立てられた大きな星条旗を目にしたことにインスピレーションを得た若き法律家が書いた詩が元になっています。その詩がロンドンにあるアマチュア男性音楽家たちの社交クラブの歌(To Anacreon in Heaven)の曲調にのせて歌われるようになって人気を博し、1899年には海軍が国家掲揚に際して使う楽曲に採用。ウィルソン大統領政権下で国歌としての扱いが始まり、正式に国歌となったのは議会の採決を経た1931年、フーヴァー大統領政権時のことでした。
「おぉ、夜明けの光の中、黄昏時、我らが誇り讃えたものはなにか/危険な戦いの中で我らが目にした砦に雄々しくはためく太いストライプとまばゆい星々、それらは誰のものか/砲弾の赤い閃光、空に炸裂する爆弾は、我らの旗がそこにあった夜の証/おぉ、星条旗は自由の祖国に、勇者の故郷に、今もひるがえっているか」―― 4番までありますが、よく斉唱される1番を訳すとこんなふうになります。愛国心を鼓舞する国歌は、第二次世界大戦中に野球の試合前に斉唱する伝統が定着しました。曲の誕生の成り行きから、アメリカ国歌とほぼ同じ旋律を持つロンドン発祥の社交ソングが存在しているのはユニークなところです。
「Wales(ウェールズ) 『Hen Wlad Fy Nhadau』
今回紹介しているスコットランドと同じく英国(UK)を構成するウェールズで、国歌と同じような扱いで歌われているのがこの曲です。ウェールズ語で書かれ、英語では「Land of My Fathers」、日本語では「我が父祖の国」というように訳されています。使われているウェールズ語は、ウェールズ人の祖先で紀元前からグレートブリテン島に住んでいたケルト系ブリトン人が用いていたケルト語派の言語が元になっています。後に移住してきた英語話者のアングロ・サクソン人に追われるようにして島の南西部に定住した人々がウェールズ人と呼ばれるようになり独自の文化生活圏を築きましたが、13世紀後半からはイングランドの支配下におかれ、16世紀半ばにイングランドに併合。英語が公用語となり、ウェールズ語話者が減少して言語滅亡の危機に陥りますが、20世紀半ばから言語保存運動が高まり、1993年には英国の公用語として認められるようになりました。
歌は1856年、ウェールズの一地方に住むハープ奏者の息子と父が別のタイトルで創作したものが人気を呼んで全国へと広がって愛国歌となり、国歌のように歌われたのは1905年、ラグビーの国際試合前の斉唱が始まりと言われています。勇者として祖国を守る決意とともに、大変古い歴史を持つウェールズ語への愛着が表現されているのが特徴です。3番までありますが、通常は1番とコーラスが歌われ、「我が忠誠は祖国に/海が守るこの清らかな地で/この古き母語が永らえんことを」と、穏やかな調べから壮大な曲調に転じてドラマティックに歌声を上げます。
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開幕から長引く暑さや湿気といった日本独特の自然環境に適応しつつ、試合後のおじぎやロッカールームの清掃など、日本の文化や習慣、マナーを進んで取り入れてくれた外国の代表チーム。そして寄せられた台風被災者への温かい気遣いとエール。開催国日本から、感謝とともに「たくさんの感動をありがとう」と心からお伝えしたいと思います。
文・晏生莉衣(Marii Anjo)
教育学博士。20年以上にわたり、海外で研究調査や国際協力活動に従事。途上国支援や国際教育に関するアドバイザリー、平和構築関連の研究等を行っている。