文/晏生莉衣

日本でもおなじみになったコンクラーヴェ(Conclave)。カトリック教会の最高権威であるローマ教皇を決める選挙です。ヴァティカンのシスティーナ礼拝堂で秘密裏に行われ、新しい教皇が選出されると礼拝堂の煙突から白い煙を立ち上がらせて知らせる伝統が知られるようになりました。

教皇選挙の伝統に注目

コンクラーヴェにまつわる伝統や儀式はこのほかにも数多くありますが、その一つ、新教皇が身につける「漁師の指輪」(または「漁夫の指輪」)にも大きな注目が集まります。

おもしろい名前の指輪ですが、これはカトリック教会の正式な典礼言語であるラテン語の「Anulus piscatoris」の日本語訳で、ヴァティカンで日常的に使われるイタリア語ではAnello piscatorio、またはAnello del pescatore。わかりやすく英語では The Fisherman’s RingまたはThe Ring of the Fishermanと呼ばれています。

この指輪は単なる装飾品ではなく、教皇の権威と役割を象徴するといわれるものなのですが、なぜ「漁師の指輪」なのでしょうか。教皇と漁師はどうつながっているのでしょうか。

以前は魚をとっていた

これには、イエス・キリストの十二使徒の一人、ペトロという人物が関係しています。

新約聖書によると、ペトロは漁師で、弟のアンデレといっしょに湖で網を打っていたところ、湖畔を歩いていたイエスにこう声をかけられます。「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」すると、兄弟はすぐに網を捨て、イエスの弟子となったのです。(マタイによる福音書4章18 – 20節など)

今流にいえば、イエスにスカウトされて、二人は転職を即決したのです。転職したのではなく、天職にいざなわれたというほうがふさわしいかもしれません。

さて、イエスからスカウトされた漁師はこの二人だけではありませんでした。さらに歩みを進めたイエスは、網の手入れをしていた別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとヨハネも同様に招きます。すると彼らもすぐにイエスに従いました。(マタイによる福音書4章21 – 22節など)

このように、十二使徒と呼ばれるイエスの主要な12人の弟子のうち、4人が漁師だったのです。

元漁師が弟子たちのリーダーに

そして、ペトロについては変わったのは職だけではなく、名前も変わりました。イエスに弟子入りする前はシモンと呼ばれていましたが、イエスから「岩」を意味するペトロという名を与えられたのです。そのため、新約聖書では、「シモン・ペトロ」のように併記して書かれていることもあります。

新しい名前を授けられたペトロは、迷いないイエスへの信頼からイエスの一番弟子となり、のちにイエスから、「この岩の上にわたしの教会を建て」、「天国の鍵を授ける」と告げられます。(マタイによる福音書16章18‐19節)

この岩とはすなわちペトロを指し、ペトロがキリスト教の土台となるということが示唆されています。ペトロが弟子たちの指導者となり、共同体のリーダーとしての中心的な役割を担うことをイエスから伝えられたのです。

続いてイエスは天国の鍵をペトロに授けると言うのですが、これは天国への門を開けたり閉めたりする役割と権威をペトロに与えたという意味に解釈されます。

この聖書の記述はもう少し続くのですが、それも含め、カトリック教会においてペトロが初代の教皇とみなされる根拠になっています。

これにより、ペトロを初代教皇と位置づけて教皇を最高指導者とする制度が築かれ、カトリック教会は今日に至っています。歴代の教皇はペトロの後継者であるので、それを示すためにペトロ像とペトロを象徴する魚や鍵などが刻まれた指輪を身につける伝統も生まれました。

漁師の指輪は少なくとも13世紀には教皇の権威を示すものの一つとして作られるようになったことが確認されています。古くは教皇の公文書に印を押すための印章として使われていましたが、現在はその象徴的な意味合いが大切にされています。

サン・ピエトロ大聖堂が建つ場所

サン・ピエトロ大聖堂 (Basilica di San Pietro in Vaticano) の「サン・ピエトロ」は、イタリア語で「聖ペトロ」のこと。

ペトロはローマで宣教活動に取り組み、皇帝ネロの迫害を受けてヴァティカンの丘付近で殉教したと伝承されています。その地にペトロの墓が建てられ、そのお墓の上に建てられた教会が、改築されてサン・ピエトロ大聖堂となりました。

イエスがペトロに「この岩の上にわたしの教会を建てる」と告げたという聖書の言葉が成就し、現実のものとなったのです。

こうしたことから、ヴァティカンはカトリック教会の重要な聖地となり、ローマ教皇が治めるカトリックの中心地へと発展していきました。

初代ローマ教皇となったペトロ

「ローマ教皇」という名称は、以上のようなペトロにまつわる出来事に由来します。ペトロはローマの信徒共同体の指導者だったので、ペトロに続くローマの教会の司教は、ローマを拠点とするキリスト教共同体の最高指導者という意味合いで、ローマ教皇と呼ばれるようになったとされています。

キリスト教徒が大変少ない日本でも関心を集めるようになったコンクラーヴェですが、その歴史を振り返ると、湖で魚をとる日々を送っていた漁師さんがイエスから召し出され、いくたびの困難や迫害に耐えながら、イエスの教えを伝える中心的指導者としての使命を果たし、カトリック教会の礎を築いたというバックストーリーがあります。

教皇が身につける「漁師の指輪」は、そうした信仰の史実を物語っています。

<注> 出典:日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』

晏生莉衣(あんじょう まりい)
教育学博士。国際協力専門家として世界のあちらこちらで研究や支援活動に従事。国際教育や異文化理解に関する指導、コンサルタントを行うほか、平和を思索する執筆にも取り組む。著書に、日本の国際貢献を考察した『他国防衛ミッション』や、その続編でメジュゴリエの超自然現象からキリスト教の信仰を問う近著『聖母の平和と我らの戦争』。

 

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