文/晏生莉衣

「教皇選挙」(コンクラーヴェ)で日本でもよく知られるようになったローマ教皇。これまで4回にわたり、初代ローマ教皇ペトロについて、漁師だったペトロの姿に重ねて紹介してきました。
ペトロはカトリック教会の礎を築いた人物で、歴代のローマ教皇はすべて、初代教皇ペトロの後継者です。バックボーンのペトロなくしては、現在のヴァティカン(教皇庁)も教皇制度も創設されなかったかもしれません。
世界史上のキーパーソンの一人ともいえるペトロとは、いったいどんな人物だったのでしょうか。今回は、聖書にあるさまざまな出来事からペトロの人となりをより広角にクローズアップしてみたいと思います。
ペトロのパーソナルデータ
まず、聖書から知りえるペトロの生い立ちをまとめると、ペトロは現在のイスラエルのベトサイダの出身で、本名はシモンです。ガリラヤ湖畔のカファルナウムに住み、兄弟アンデレや仲間たちとともにガリラヤ湖で魚をとることを生業としていました。イエスと出会って弟子となり、イエスから「岩」を意味するペトロという新たな名を与えられて、弟子たちのリーダー的な役割を果たすことになりました。
以上のことは前回までの復習ですが、次のエピソードからペトロの別の顔が見えてきます。
★ イエスがペトロの家に行ったとき、ペトロのしゅうとめは高熱に苦しんで寝込んでいました。ところがイエスにいやされて熱はすぐに下がり、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなしました。
ここではペトロの義母が登場しています。つまり、ペトロはイエスと出会う前にすでに結婚していたのだろうということが示唆されているのです。
カトリックでは聖職につく者に対して独身制を課していますので、ペトロが既婚者だったということは意外に感じるかもしれませんが、当時は、イエスの弟子は独身でなければならないという決まりはありませんでした。聖書には、ペトロは妻をともなって伝道していたと読み取れるような記述もあります。
実直で純真な一番弟子
イエスの弟子としてのペトロは、謙虚でまっすぐな信仰心の持ち主でした。
あるときは、イエスの言葉どおりに奇跡的にたくさんの魚がとれたことに驚き恐れ、イエスの足元にひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言い、またあるときは、弟子たちに「わたしを何者だと言うのか」とたずねるイエスに、「あなたはメシア、生ける神の子です」と迷いなく答えました。
イエスの話を聞き入れずに多くの弟子が離れ去ったときも、ペトロは十二使徒を代表して「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。わたしたちはあなたこそ神の聖者であると信じ、知っています」とイエスに信仰を告白しました。
憎めない人柄
イエスに対して常にへりくだり、なにがあってもイエスを信じてついていこうとする強い意思を感じさせるペトロですが、絵画でも有名な「最後の晩餐」の場面ではこんなパプニングが描かれています。
★ イエスが食事の席を立ち、弟子たちの足を洗うという象徴的な行いを始めました。するとペトロは、「わたしの足など、決して洗わないでください」と強く拒むのですが、受け入れないなら二人の間には何のかかわりもないことになるとイエスから言われると、今度は、「主よ、足だけでなく、手も頭も」洗ってくださいと頼むのでした。
イエスからそのリーダーシップを認められ、十二使徒の要となる存在である反面、純朴なあまり、ときにちょっと笑いを誘うようなことをしてしまう。そんなペトロの愛すべき人柄がよく表れています。
直情的で叱られることも
しかし、ペトロは100点満点の優等生だったわけではなく、イエスからお叱りを受けることもありました。
★ 湖上を歩くイエスを見て、ペトロはイエスに頼んで自分も水の上を歩くものの、急に怖くなって沈みかけ、助けてくれたイエスから「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」ととがめられるという失態を犯します。
★ あるとき、イエスが自分の身に起こる死を予告すると、ペトロは憤慨して「とんでもない。そんなことがあってはなりません」とイエスをわきに連れていさめ始めました。するとイエスから「サタン、引き下がれ!」と、ペトロの上から目線の振る舞いをきびしく叱責されてしまいます。
ペトロは率直な性格で行動力もあるのですが、ときとして、それがかえってあだとなって失敗してしまう様子がうかがえます。
強さと弱さの両面性
新約聖書の中で、最後の晩餐のあと、イエスが捕らえられ、十字架上の死を迎えるまでのクライマックス的な部分は「受難物語」と呼ばれています。その受難物語でのペトロの言動は印象的かつ核心的です。
★ 食事を終えてオリーブ山に行ったイエスが、待ち受ける死を思って苦悩のうちに祈りをささげている最中のこと。ペトロをはじめ、伴われてきた三人の弟子たちは少し離れた場所で待っているうちに眠り込んでしまいます。戻ってきたイエスはそれを見て、ペトロに「誘惑に陥らないよう、目を覚まして祈っていなさい」と言ってたしなめるのですが、ペトロたちはその後も二度、三度と眠ってしまいました。
★ イエスの期待に応えることができなかったペトロでしたが、このあとすぐ、ユダの裏切りによってイエスの命を狙う集団がやってくると、ペトロは打って変わって勇敢な忠臣となり、持っていた剣を抜いて、イエスを捕まえようとする者たちの一人の耳を切り落としてイエスを守ろうとします。
しかし、イエスがペトロを止めて逮捕されると、ペトロもほかの弟子たちも、イエスを見捨てて逃げていってしまいました。
ペトロ、イエスを否認する
そして、ペトロにとって最大のつまずきとなる出来事が起こりました。
★ 恐れのあまり逃げ出してしまった弟子たちですが、ペトロは逃げるのをやめてイエスを追い、イエスが連行されていった屋敷の中庭に入り込みました。息を潜めるようにしてことの成り行きをうかがっていたところ、屋敷の侍女から「この人もイエスといっしょにいた」と言われ、ペトロはとっさに「何のことを言っているのかわからない」と打ち消します。ところが、周囲の人たちからも同様の指摘をされて再び打ち消し、ついには「そんな人は知らない」と誓い出したのです。
すると突然、鶏が鳴き、ペトロはあることを思い出しました。それは、最後の食事の後にイエスと交わしたやり取りでした。
イエス「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」
ペトロ「たとえ皆がつまずいてもわたしは決してつまずきません」
イエス「あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度わたしのことを知らないと言うだろう」
ペトロ「たとえ御一緒に死ななければならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」
いったんは逃げ出したものの、ペトロは最側近としての自覚を取り戻し、師の身の上を案じてイエスが連行された場所までやってきたのでしょう。それなのに敵対者たちに囲まれて問い詰められると、ついさきほど口にした固い忠誠心はむなしくも失われ、イエスの言葉どおりに、いとも簡単にイエスを三度、否認したのです。
ペトロは外に出て激しく泣きました。
挫折の後に与えられた「ゆるし」
漁師の職を迷わず捨てて、イエスの宣教活動の最初から従った忠実な使徒ペトロでしたが、このように、イエスの受難を前に、自己否定にもつながる大きな挫折を体験しました。
しかし、十字架上の死から復活したイエスは、そんなペトロをゆるしただけでなく、ペトロに弟子たちの指導者となるよう、あらためて命じたのです。
いくつもの失敗、つまずき、挫折……。そのたびに自己嫌悪や失意に陥りながらも、キリスト教で表現するところの「イエスの憐れみ」と「慈しみ」による「ゆるし」を糧に成長し、真の意味で強い信仰者となり、伝道者となったペトロ。最期はイエスと同じ十字架につけられるのは畏れ多いと、自ら望んで逆さ十字架につけられて殉教の死を遂げたと伝承されています。
<注> 出典:日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』
晏生莉衣(あんじょう まりい)
教育学博士。国際協力専門家として世界のあちらこちらで研究や支援活動に従事。国際教育や異文化理解に関する指導、コンサルタントを行うほか、平和を思索する執筆にも取り組む。著書に、日本の国際貢献を考察した『他国防衛ミッション』や、その続編でメジュゴリエの超自然現象からキリスト教の信仰を問う近著『聖母の平和と我らの戦争』。











