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文/後藤雅洋

■マイルスも愛した歌声 

団塊世代の私にとって、フランク・シナトラはまさに豊かでカッコいい「アメリカ文化の象徴」でした。おそらくそれは、彼が優れた映画スターでもあったからでしょう。

1960年代初頭に公開された痛快な娯楽映画『オーシャンと十一人の仲間』などで、「シナトラ一家」と呼ばれたサミー・デイヴィス・ジュニア、ディーン・マーチンたち小粋で都会的な取り巻き連中とともに活躍するシナトラは、まさにそのダンディな存在自体が「アメリカン・ドリーム」だったのですね。

しかし彼が歌手としても超一流の存在であることを実感したのは、かなり経ってからでした。というのも、私の世代が「洋楽」に目覚めた60年代ともなると、そろそろエルヴィス・プレスリーなどロカビリーと呼ばれた新世代アメリカン・ポップスや、ザ・ベンチャーズなど「エレキ音楽」が幅を効かせ始め、シナトラは「大人の音楽」としてちょっと敬遠していた節があったのです。

そうした「偏見」が払拭されたのは、ジャズを聴き始めてからでした。いろいろな場面でシナトラの名前が登場するのですね。いちばん驚いたのはジャズを代表する名トランペッター、マイルス・デイヴィスが大のシナトラ・ファンで、しかもマイルスの50年代の代表作であるプレスティッジ・レコードのセッション『クッキン』や『リラクシン』などでは、シナトラのフレージング(節回し)を頭に思い浮かべながら吹いていたというのです。

それともうひとつ、まさにジャズ・ヴォーカルの女王ともいうべきビリー・ホリデイとシナトラが友人同士であるだけでなく、お互いの歌唱に対して深い敬意を抱いていたというのですね。これもまた大いに意外でした。だって、ふたりのイメージは違いすぎるじゃないですか。

いくら同い年(ともに1915年生まれ)とはいえ、片や薄幸の少女時代が話題となるコアでシリアスな黒人ジャズ・ヴォーカリスト、もう一方は妖艶なハリウッド女優エヴァ・ガードナーと浮名を流す白人プレイボーイ。読者のみなさんも同じ思いなのではないでしょうか?

このように、シナトラが大物歌手であることはわかっていても、ジャズとの関わりについてはどなたもあまりご存じないのでは、と思うのです。もちろんそれはジャズを聴き始めたころの私も同じで、その「意外性」がきっかけでシナトラを意識して聴くようになったのです。

そうしてみると、いろいろと見えてくることがありました。まず圧倒的なシナトラの表現力です。もちろんそれは、メル・トーメであるとかジョニー・ハートマンといった一流ジャズ・ヴォーカリストたちの歌唱と比べてみても、卓越しているのですね。これには驚きました。たんに巧いだけでなく、歌に込められた表情・ニュアンスがじつに迫真的で、シナトラの歌を聴いていると、ほんとうに彼の歌唱に込められた気分・雰囲気に自分の気持ちが同調していくのがわかるのです。これって、究極の歌唱表現じゃないでしょうか!

この実感はけっして私だけのものではなく、裏付けがあるのです。

『エンサイクロペディア・イヤー・ブック・オブ・ジャズ』という出版物が、ジャズ黄金時代といわれた1956年に、面白いアンケート調査をしました。マイルスや、ジャズ界の重鎮バンド・リーダー、デューク・エリントン、天才ピアニスト、バド・パウエル、そしてビリー・ホリデイの恋人でもあった大物スイング・テナー・サックス奏者レスター・ヤングといった錚々たる連中を含む100人のジャズ・ミュージシャンたちに、それぞれの音楽部門で「誰がいちばん偉大か?」という質問を行なったのですね。

その「男性ヴォーカリスト部門」のトップが、他を圧倒的に引き離してシナトラだったのです! これも意外でしょう。シナトラがアメリカの一般大衆に人気があるのは当然としても、ジャズマンたちがこぞってシナトラ・ファンであるばかりでなく、彼を「偉大である」とまで高く評価していることの意味は、たいへん大きいのではないでしょうか?

■シナトラ監督と仲間たち

フランシス・アルバート・シナトラは、1915年(大正4年)12月12日にハドソン川を挟んだニューヨークの対岸、ニュージャージー州ホーボーケンに生まれました。

ここでちょっと話が脇道に逸れますが、12月12日という「ゾロ目」に個人的に思うところがあるのです。まったくの偶然ですが、この誕生日は歳こそ違え、日本が誇る名監督、小津安二郎(1903年・明治36年12月12日生まれ)と同じなのですね。

そこに気がついてみると、ふたりにはかなり共通点があるように思えてきたのです。誰しも気づくキーワードは「映画」ですよね。監督小津は言うまでもなく、シナトラもまたたんなる歌手の余技を超えた映画スターとしての地位を築いていました。監督もしています。そしてもうひとつ、小津は伝説の名女優、原節子や名脇役、笠智衆といった俳優をくり返し使ったので、彼らは「小津組」などと呼ばれていました。

同じようにシナトラも、サミー・デイヴィス・ジュニアやディーン・マーチンといったお仲間たちを起用した映画をたくさん作っており、彼らは「シナトラ一家」などと称されたのです。

また「小津組」には名キャメラマンといわれた厚田雄春など、表には出ない優秀なスタッフがいましたが、シナトラもまたネルソン・リドルなど名アレンジャー(編曲者)を重用しています。つまりふたりともチームで仕事をするのが好きなのですね。

付け加えれば、シナトラがエヴァ・ガードナーなら、小津は原節子との噂など、女優さんとの艶聞も共通しています。まあ、これはふたりとも都会的でダンディだからモテるのは当然ということなのかもしれませんが……。

シナトラの音楽に的を絞ってみても、一見彼は感性で歌っているようにみえますが、じつに緻密な計算に基づいて歌唱表現を行なっているのです。それは魅力的なステージ・アクションにも及び、洒落たマイクロフォンの持ち方に始まり、微妙な手の動かし方や身ぶりで歌唱をドラマチックに盛り上げる技術には、比類なきものがあります。

その目的は歌詞をいかに生かすか、歌詞のもつ「ストーリー性」をいかにリアルに観客に伝えるかというところにあって、そのために人知れない努力をしているのですね。

同じように小津の映画も、俳優の動きから微細なセットの配置、異常に低いキャメラの位置など、じつに綿密な画面構成が行なわれていたことはよく知られています。要するにふたりの巨人は、ともに「人の感受性のメカニズム」に対して、鋭い探究心と卓越したロジック(理論)の持ち主だったのです。

■地道な努力と冷静な戦略

そろそろ本筋に戻りましょう。シナトラの両親はともにイタリアからの移民で父親はシチリアから、母親はイタリア北部の港町ジェノヴァです。シチリアはいわずと知れたマフィアの本拠地。成人してからのシナトラには、マフィアとの噂が終生ついてまわりました。

シナトラの音楽体験はラジオからでした。このこともシナトラを語る上で重要なポイントとなります。つまり、20世紀になってから普及しはじめた新しい伝達手段であるラジオ、レコード、そして映画といった新興メディアが、シナトラをビッグ・スターの地位に昇らせる上で大きな役割を果たしているのです。

シナトラはラジオから流れる当時の大スター歌手、ビング・クロスビーの歌声に魅了されました。シナトラより一世代上(1903年生まれで奇しくも小津と同い年)の国民的歌手ビング・クロスビーは、まさに新時代の伝達手段であるマイクロフォンを上手に使うことによって、歌い方を根底から変えたエポック・メイキングな歌手でした。

それまでの歌手は声が大きいことが最大の武器でした(ちなみにこれは器楽奏者も同じで、「大きな音が出せること」がジャズマンの必須条件だったのです)。ですから、歌唱法もおのずと声を目いっぱい張り上げざるをえません。これでは表現の幅が狭まるのは明らか。

しかしマイクの登場によって、囁くように歌うことが可能になりました。英語では小声で歌うことを「クルーン(croon)」といいますが、そこから「クルーナー=囁くように歌う人」という言葉が生まれました。ビングなどは元祖「クルーナー」といえるでしょう。そしてシナトラもクルーナーの系譜に繫がる歌手なのです。

高校に入学したシナトラは、グリー・クラブと呼ばれた男声合唱団やスクール・バンドに入り、自らパーティや集会に押しかけ、無料で歌を歌って自己PRに励みました。それを支えたのが、当初は息子の歌手志望を反対していた母親だったのです。しかしその援助の仕方がまた興味深い。なんとポータブル型のPA装置を買う資金を与えたのですね。

当時の歌手はまだPA、つまり場内拡声装置というものに対する認識が薄かった時代で、この「新兵器」を使った若きシナトラは大いに優位に立ったのです。このあたりにも「技術」というものに対するシナトラの革新的態度がうかがえます。

シナトラの家庭はイタリア系移民としては、かなり裕福なほうでした。が、29年の大恐慌のあおりもあって高校を中退、地元の造船所やニューヨークの書店員など、さまざまな職業に就きました。33年17歳のシナトラは憧れのビングのライヴを観て、かねてからの歌手志望の夢を実現させるべく、ラジオののど自慢大会に応募し、見事合格。同じ合格メンバーと、地元名を取った「ホーボーケン・フォア」という4人チームを組みプロ・デビューします。

しかしメンバーとの折り合いが悪くなり独立。アルバイトで食いつなぎながら、力のあるバンド・リーダーの耳に留まるべくラジオ出演をくり返し、チャンスを待ちます。この時期シナトラは、ニューヨークのジャズ・クラブに日参、ビリー・ホリデイの歌に聴き惚れたのでした。

そんなシナトラにチャンスが訪れます。スイング・ミュージックのキングと呼ばれたクラリネット奏者のベニー・グッドマン楽団の人気トランペッターだった、ハリー・ジェイムスの新バンドにスカウトされたのです。いよいよ本格始動です。

ここで注意していただきたいのですが、最初の即席チーム「ホーボーケン・フォア」とは違って、今度は憧れのジャズ・バンドのバンド・シンガーなのです。そしてシナトラは、このハリー・ジェイムス楽団で初レコーディングも行なっています。シナトラが「ジャズ・シンガー」として本格プロ歌手のデビューを果たしたことは、彼の経歴を辿る上で記憶すべきことでしょう。

■独立しスター街道を驀進

そしていよいよシナトラはスター街道を歩み始めることとなります。きっかけは当時の花形バンド、トロンボーン奏者のトミー・ドーシー楽団への参加です。

紆余曲折の末にハリー・ジェイムス楽団からトミー・ドーシー楽団の専属歌手となったシナトラは、親分ドーシーの息の長いなめらかなトロンボーン・フレーズにヒントを得て、スムースなメロディの歌わせ方を一生懸命に身につけます。そのため「息継ぎ」の訓練としてプールに潜ってみたりと、発想としては体育会系。ここでも注意すべきは、シナトラの歌唱のお手本がジャズマンの器楽奏法だったという点と、かなり具体的かつ実践的歌唱訓練をしているところです。

その甲斐もあって、1941年に音楽業界誌『ビルボード』の学生人気投票で、シナトラは男性バンド・シンガー部門のトップに選ばれました。そればかりでなく、ジャズ専門誌『ダウンビート』でも、長らく先輩歌手ビング・クロスビーが保持していた男性シンガー部門のトップを奪い、同じく『メトロノーム』誌でもトップの座に躍り出たのです。

ここで、極論すれば、それまでビッグ・バンドのお飾り、添え物的扱いだった専属歌手が、むしろ主役になるという逆転現象が起きたのです。当然バンド・リーダーのドーシーは面白くありませんよね。そこで「独立」問題が起こります。

シナトラはかなり不利な条件(将来の収入の3分の1を渡すなど)をドーシーに飲まされつつも無事独立。そして華々しい「スター誕生物語」の始まりです。第二次世界大戦の真っ最中、1942年の暮れも押し詰まったパラマウント劇場に登場したシナトラに対して、熱狂した聴衆が耳をつんざくほどの大歓声をあげつつ、椅子の上に乗ったり踊り出したりと、大混乱を巻き起こしたのです。時代背景などを考えると、この人気沸騰ぶりは、のちのプレスリー・ブームやビートルズ旋風を凌ぐものといってもいいかと思います。

そして奇しくもこのときのバック・バンドが、1930年代に一大スイング・ブームを巻き起こしたベニー・グッドマン楽団だったのです! この瞬間、ビッグ・バンド時代の終焉と、ソロ・シンガーの時代の幕開きが、シナトラを軸として同時に起こったのです。

文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。

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