フランク・シナトラ 歌をリアルに伝える、圧倒的な表現力と技術【ジャズ・ヴォーカル・コレクション04】

書影_JAZZ VOCAL_04_s

『JAZZ VOCAL COLLECTION』(ジャズ・ヴォーカル・コレクション)第4号「フランク・シナトラ Vol.1」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)

歌をリアルに伝える、圧倒的な表現力と技術
文/後藤雅洋

マイルスも愛した歌声 

団塊世代の私にとって、フランク・シナトラはまさに豊かでカッコいい「アメリカ文化の象徴」でした。おそらくそれは、彼が優れた映画スターでもあったからでしょう。

1960年代初頭に公開された痛快な娯楽映画『オーシャンと十一人の仲間』などで、「シナトラ一家」と呼ばれたサミー・デイヴィス・ジュニア、ディーン・マーチンたち小粋で都会的な取り巻き連中とともに活躍するシナトラは、まさにそのダンディな存在自体が「アメリカン・ドリーム」だったのですね。

しかし彼が歌手としても超一流の存在であることを実感したのは、かなり経ってからでした。というのも、私の世代が「洋楽」に目覚めた60年代ともなると、そろそろエルヴィス・プレスリーなどロカビリーと呼ばれた新世代アメリカン・ポップスや、ザ・ベンチャーズなど「エレキ音楽」が幅を効かせ始め、シナトラは「大人の音楽」としてちょっと敬遠していた節があったのです。

そうした「偏見」が払拭されたのは、ジャズを聴き始めてからでした。いろいろな場面でシナトラの名前が登場するのですね。いちばん驚いたのはジャズを代表する名トランペッター、マイルス・デイヴィスが大のシナトラ・ファンで、しかもマイルスの50年代の代表作であるプレスティッジ・レコードのセッション『クッキン』や『リラクシン』などでは、シナトラのフレージング(節回し)を頭に思い浮かべながら吹いていたというのです。

それともうひとつ、まさにジャズ・ヴォーカルの女王ともいうべきビリー・ホリデイとシナトラが友人同士であるだけでなく、お互いの歌唱に対して深い敬意を抱いていたというのですね。これもまた大いに意外でした。だって、ふたりのイメージは違いすぎるじゃないですか。

いくら同い年(ともに1915年生まれ)とはいえ、片や薄幸の少女時代が話題となるコアでシリアスな黒人ジャズ・ヴォーカリスト、もう一方は妖艶なハリウッド女優エヴァ・ガードナーと浮名を流す白人プレイボーイ。読者のみなさんも同じ思いなのではないでしょうか?

このように、シナトラが大物歌手であることはわかっていても、ジャズとの関わりについてはどなたもあまりご存じないのでは、と思うのです。もちろんそれはジャズを聴き始めたころの私も同じで、その「意外性」がきっかけでシナトラを意識して聴くようになったのです。

そうしてみると、いろいろと見えてくることがありました。まず圧倒的なシナトラの表現力です。もちろんそれは、メル・トーメであるとかジョニー・ハートマンといった一流ジャズ・ヴォーカリストたちの歌唱と比べてみても、卓越しているのですね。これには驚きました。たんに巧いだけでなく、歌に込められた表情・ニュアンスがじつに迫真的で、シナトラの歌を聴いていると、ほんとうに彼の歌唱に込められた気分・雰囲気に自分の気持ちが同調していくのがわかるのです。これって、究極の歌唱表現じゃないでしょうか!

この実感はけっして私だけのものではなく、裏付けがあるのです。

『エンサイクロペディア・イヤー・ブック・オブ・ジャズ』という出版物が、ジャズ黄金時代といわれた1956年に、面白いアンケート調査をしました。マイルスや、ジャズ界の重鎮バンド・リーダー、デューク・エリントン、天才ピアニスト、バド・パウエル、そしてビリー・ホリデイの恋人でもあった大物スイング・テナー・サックス奏者レスター・ヤングといった錚々たる連中を含む100人のジャズ・ミュージシャンたちに、それぞれの音楽部門で「誰がいちばん偉大か?」という質問を行なったのですね。

その「男性ヴォーカリスト部門」のトップが、他を圧倒的に引き離してシナトラだったのです! これも意外でしょう。シナトラがアメリカの一般大衆に人気があるのは当然としても、ジャズマンたちがこぞってシナトラ・ファンであるばかりでなく、彼を「偉大である」とまで高く評価していることの意味は、たいへん大きいのではないでしょうか?