夫婦の絆は親子の絆よりも軽いものなのか?
泰子さん夫婦はそのまま告別式、葬儀に参列。義母に代わって喪主を務めた夫を支えるべく、泰子さんも親戚周りのお世話に奮闘したそう。そこでずっと義母に寄り添う夫の姿をよく覚えていると言います。
「義母はリュウマチの症状があり、痛みから畳に座れなかったので、親戚の集まるテーブルから少し離れたところで椅子に座っていたんです。夫は各テーブルに挨拶しながらも、常に母親の側で面倒を見ていました。本当なら私がしなくてはいけないことかもしれませんが、ずっと会ってなかったのに急に仲良くなんてできません。これが親子と、嫁姑という他人の関係の違いなんだなって思いました」
そして、その日を境に旦那さんは実家で過ごすことが多くなっていきます。その報告についても疑いの目を向けてしまっていたとか。
「一応メールで実家にいる旨の連絡はくれていました。でも、本当なのかなって。さすがにそこを再確認してしまうことはやってはいけないことだと思って、していませんでした。
夫と私は次第に顔を合わせることさえしなくなって、話す内容も何かの報告だけになっていきました。そんな関係性になっているのを修復する努力なんて一切しないくせに、さらに不信感が募ることを言われて……」
言われた内容とは、「義母と一緒に暮らしたい」ということ。もちろん泰子さんは受け入れません。話し合いは平行線のまま、離婚はしないものの、現在はほぼ別居状態にあると言います。
「正直に言うと、冗談じゃないと思いました。夫は何十年も続くことじゃないと私を説得するのですが、介護こそ先が決まっているものではないのに、よくもそんな無責任なことが言えるなと。義母とは2人きりの空間にいるのもいたたまれないのに……。このことについては散々話し合ったけど、今も何が正しい答えなのかわかっていません。離婚をすればいいと言われるんですが、今さら一人になれない自分の弱さもあって。
夫婦の絆って何なのかなって今でも思います。学生の頃からずっと愛情を感じていないと、嫌っていた母親なのに、放っておけないなんて血縁はそれほどのものなのでしょうか。でも、自分の両親のことを考えると、まったくわからないことじゃないので、その分歩み寄れない自分がより薄情に感じてしまっています」
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。