ライターI(以下I): 2月9日(15:05~)に『麒麟がくる』の第1回から3回を一挙再放送するらしいです。Aさんは去年の今ごろから、「期待できる、待ち遠しい」って大騒ぎしていましたけど、改めて『麒麟がくる』のどこに期待していたのですか?
編集者A(以下A): いろんなところで力説していて繰り返しになるのですが、名作大河として名高い『太平記』(91年)を手がけた池端俊策さんが脚本担当というところが大きいです。そして、80年代に〈近代化大河〉が3年続いた後に登場した『独眼竜政宗』(87年)が大河史上最高の平均視聴率を叩き出した故事がありますが、それが再現されるのではないかという期待もあります。
I: 今作は近代大河『いだてん』の翌年ですもんね。
A: 加えて大河史上初めて明智光秀が主人公になるということに尽きます。三重大教授で20数年来、本能寺の変を研究している藤田達生教授がこんなことをいっています。〈本能寺の変を起こした光秀は、信長側からみれば謀反人ですが、室町幕府将軍・足利義昭側からみれば忠臣でした。これまでは信長側の視点からのドラマ作りが多かったのですが、光秀側の視点からドラマがどう描かれるか興味深いです〉(月刊『サライ』2月号)。
I:確かに私たちは何も考えずに光秀のことを「謀反人」と言っていますが、それは信長側の史観に過ぎないということですね。
A: 歴史は勝者が作り出す、といいますが、最終的に信長と同盟していた家康が天下をとって、光秀は謀反人の汚名を着せられたままです。そんな中で〈光秀目線〉の物語がどう紡(つむ)がれていくのか。池端さんも「『太平記』で室町幕府初代将軍(尊氏)を描いたので、室町幕府の最後も描きたかった」という趣旨の話をしていますし、今まで見たことのない展開になると期待しています。
I: では、『麒麟がくる』一話から三話までをおさらいしてみたいと思います。Aさんは、実は、第一話冒頭に、〈裏設定〉が隠されていると主張していますが・・・・・・。
A: はい。第一話冒頭で野盗が明智荘を襲います。頭領は頬当てをしていますが、本宮泰風さんが演じています。本宮さんといえば、やくざ世界の統一過程を描く『日本統一』の主演俳優。天下統一の物語でもある『麒麟がくる』冒頭に『日本統一』の主演俳優、しかも演じるのが野盗で鉄砲をぶっぱなす。これをどう解釈したらよいのかと・・・・・。
I: 解釈って・・・・。しかも本宮さんは任侠もの以外でも活躍していますよ。
A: 最初はそう思っていたんです。でも制作陣への取材の際に「(物語冒頭は)関ケ原合戦から50年程前なので(合戦も)やくざの出入りのようなもの」という発言がありました。それを聞いて繋がったのです。〈裏設定〉はやくざの出入りで、それこそが「リアルな戦国」の表現なのではないかと。任侠もので活躍する本宮さんが冒頭に登場したので、つい深読みしちゃいました。もちろんNHK非公認ですけど(きっぱり)。
●首をふたつ背負って戦う光秀
I: 確かに、戦国時代は、「日本史上もっとも不幸な時代」ともいわれていますが、「リアルな戦国」の描写が第一話には多く描かれていました。荒れる都に汚れた孤児、これから売買されると思われる縄をうたれた人々。叡山の関所では関銭を徴収してました。そうした「リアルな戦国」が表現されればされるほど、門脇麦さん演じる駒の存在が引き立ってくるのだと思います。駒は、不幸な時代を生きた庶民の声を代弁する重要なキャラクターですから。
A: では、第二話の注目ポイントにうつります。第二話では斎藤道三と織田信秀との間で交わされた「加納口の戦い」が時間を割いて描かれました。西村まさ彦さん演じる明智光安が「性懲りもなく」と吐き捨てていますが、実際に信秀は、美濃や三河と合戦を繰り返していました。
I: ああいうセリフでさりげなく当時の状況を説明しているのが『麒麟がくる』のにくいところですよね。
A:そういう個所がもうひとつあります。戦に敗れた織田信秀が「城に帰って寝るか」といっていました。 実際に信秀はオンとオフの切り替えがはっきりしていたといいます。負けを引きずらない。美濃に大敗した直後に連歌の会を開いたともいわれていますし。
I: いろいろな史資料を駆使して練りに練って脚本がつくられてるんだなあって思いますよね。さて、二話では、面白い場面があったそうですが、どのシーンですか?
A: 道三軍に本陣を攻められた信秀が逃げようとする場面です。その背景で、熱田神宮大宮司の千秋(せんしゅう)季光が討たれていました。よくよく見ないとわからない程度の描写です。2回目の視聴で気がついて笑っちゃいました。制作陣に試されているのかと思いましたよ(笑)。この時期の大宮司は織田家の戦によく参陣していたようで、桶狭間では季光の息子の季忠も討ち死にしています。
I: ちなみに熱田神宮の現在の宮司も千秋さん。熱田神宮には信長が寄進した築地塀(通称・信長塀)が残されていますね。
A:そして、もうひとつが、乱戦の中で光秀が首をふたつ背負って戦う場面。道三に「侍大将の首をふたつ獲れ」といわれて律儀に実行しているわけです。ただでさえ重い甲冑を身にまとっているのにひとつ5㎏ほどの首をふたつもぶら下げて戦う光秀ってまじめだなあと思いました。
I: ああ、そこ私は気が付きませんでした。首を二つもですか?
A: 2月9日に確認してみてください(笑)。迫力ある市街戦の中にさりげなく挿入されています。そのほか合戦の際のかかり太鼓など、これまであまり描かれていない場面が多いのが特徴ですから、そうしたシーンは目に焼き付けておきたいですね。
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