働くことを認めてくれたのに、夫はあからさまな怒りをぶつけるようになってしまった
晴れて入籍をすることができたのは、プロポーズから半年ほど経ってから。そして、結婚してすぐにパワハラが始まります。
「最初は家事に対してのクレームみたいなもので、そこまで気にしていませんでした。内心うるさいなって思っていたぐらい。結婚して仕事を辞めていたので、初めて専業主婦になって、妊活をしていたんですよ。でも、子どもを授かることはなくて、そこまで子どもについて執着がなかった夫と話し合って、治療は40歳の時にやめました。夫は自分の興味ないことにはとことん無頓着で、協力的でもなかった。まぁその分プレッシャーとかはなくてよかったんですが……」
妊活をやめてから和沙さんは再び働きたいと夫に言います。返ってきた言葉はあまりにも酷いものでした。
「『お前は家のことすら何もできないのに』と言われました。あまりにも強い衝撃でストレスを感じたのか、耳が一瞬キーンってなりましたから。私はずっと英語を活かした仕事をしていたので、もう一度その仕事を探すつもりだと、家のことはできる限りやるから協力してほしいと言いました。そしたら、『お前が家事をすべてするならいい』と。結婚の時に義両親を説得してくれた意思を押し通す強さみたいなものを感じて、ゾッとしました。でも、それでも離婚したいなんて思っていませんでした。仕事をまた始めたいとわがままを言っているのは自分だったので」
無理かもしれないと思い始めたのはつい最近だと言います。しかし、夫以上に敵意の目を向けられるだろう義両親のことを考えると、どうしても離婚に踏み切れないそう。
「仕事を再開して、そこから夫は終始機嫌が悪くなり、『そんなつまらない仕事をしてるくせに』という言葉を関係ない会話の中にも入れてくるようになりましたね。そこから自分の意思で欲しいものを買うこともできていません。結婚当初から働いたお金はすべて夫婦の共通の銀行に入れて、そこから食費をもらっているんです。それは私自身が仕事を始めてからも継続すると約束したことだったので仕方なく。食費以外のものを買う場合は報告が必要な状態です。その度に私のことをとりあえず一度は否定したいのか、『俺の言うことのほうが正しい』と別のものを選ばれることもしばしば……。
こんな生活なのに、『だからあの時言ったのに』と義両親に、より失望されることも怖くて。それに、自分の両親をこれ以上落胆させたくないんです。どちらにも孫ができなかったことへの後ろめたさもあって。もう数年立ち止まったままです」
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。