子供に関心を寄せない親たちに、いつしかいい子を演じるように
子供の躾や勉強に対して両親はどうだったのでしょうか。
「まったく厳しくはなくて、ある意味無関心でした。成績などは母親に一応見せてはいたんですが、怒られた記憶もなく、何かを言われていたのかもしれないけど覚えていません。それに躾も自分の家でしていいこととダメなことの線引きが一切わからないような子供でしたね。覚えているのは、小学生の頃、友人の家に遊びに行った時に自分の家と同じ感覚で、冷蔵庫から食べ物を出して勝手に食べようとしたことがあって。その場で友人の母親から注意を受けて、その後そこまで大ごとにはならなかったけど、母親が友人の親に謝り行くことになってしまって。注意されたことよりも、母親に自分のことで謝らせてしまったということが強く印象に残っていて、今も忘れられないのかもしれません」
父親は母親以上に子供たちに関心なし。苦笑いを浮かべながら、それを裏付けるあるエピソードを教えてくれました。
「たまに一緒にご飯を食べる時でも、父親は自分の話ばかり。父親はほぼ毎日晩酌をしていたので、とにかく食事の時間が長い。その間ずっと無言の圧力で席を立つことができないんです。よく酔っ払うと昔の武勇伝ばかりを語る上司とかいるじゃないですか。父親は典型的なそんなタイプで、会社でもしかして嫌われていんじゃないかと心配になったくらいです(苦笑)」
久美子さんの家は裕福なほうで、やりたいといった習い事はすべて一度はさせてもらっていたそう。しかし習い事に関しても父親の嫌な口癖を覚えているとか。
「姉妹一緒に同じところでピアノを習っていたんですが、発表会でも嫌な思い出が残っていて。年に一度あった発表会には両親とも観に来てくれてはいたんですが、父親が『きれいな恰好をして、大層な場所で演奏できるのはお父さんのおかげなんだ』というような内容のことを発表会後の食事のタイミングで毎年言われていました。ピアノは小学生から中学3年の受験ギリギリまで習っていたのに、発表会で演奏した記憶よりも、父親に恩着せがましく言われていたことだけを覚えている。きっとめちゃくちゃ嫌だと思っていたんですよ」
怒ることはしないものの、褒めることも一切なかった両親。嫌われないように、家に波風が立たないようにいい子を演じるようになっていった久美子さんですが、それは少しずつ他人行儀という壁を作ってしまいます。その壁は“借金”というマイナスなもので好転していきます。【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。