「母親を支えられるのは私だけ」。その思いに父親は謝罪と感謝の言葉を口にした
放送作家の仕事を2年で退職した亜美さんはその後実家に戻り、趣味として始めていたイラスト関連の仕事を個人で受けるようになります。その間も両親は亜美さんの行いを一度も否定はしなかったそう。
「趣味だったイラストが仕事になった時は本当に嬉しかったし、両親もとても喜んでくれました。仕事を辞めたことも一切咎めることなく、やりたいことをやれている娘を誇ってくれている感じでしたね。その後2年間は実家で仕事を続け、その後は風呂なしアパートに引っ越ししました。一人暮らしを再開した理由は、実家にいるより外で苦労したほうが反骨心というか、もっと頑張れる気がしたから。あの頃はすでに挫折を味わい、世間の波にもまれまくっていたので、もう世間知らずの要素はまったく残っていませんでした。ようやく親の世話にならずに、自立できましたね」
仕事が軌道に乗ってきたのは26歳のとき。風呂なしアパートから7万円の家賃のアパートへ引っ越しした矢先、母親から、借金のことを知らされます。
「まったく予想していなかったです。母親はか細い声で、借金が数百万あること、そして父親はその事実をまったく知らないことを伝えてきました。『お父さんに知られたら、離婚されてしまう……』と泣きながら言われた時に、絶対に父に知られずに何とかしなければと思いました。
そこから家を友人に頼んでルームシェアしてもらい、母の消費者金融から借りた借金を全額管理しました。自分名義にして肩代わりした分もあります。完済できたのは34歳で8年もかかりました。しかし父親には31歳の時にバレてしまって」
父親に借金がバレた時に両親の離婚を想像したものの、それは杞憂だったそう。父親は亜美さんへの謝罪と感謝を口にして、母親にも怒ることはなかったと言います。
「両親の深い絆を確認できました。父は私に謝り、母親を支えたことに感謝してくれました。そしてそこまで口にできずに母親を追い詰めたことに対しても母親に謝ったんです。本当に懐の大きい人なんだと思いましたね」
亜美さんは借金を返し終わった後に、婚活を始めます。その理由は借金が父親にバレた時の態度からだったとか。
「父の中でずっと私が一番だと思っていたのに、一番は母親だったんだと確信したからというか、このまま父に守られて生きていけるわけじゃないと悟ったからでしょうか(苦笑)。私がいなくても両親は2人で仲良く暮らすという安心感をもらえたのもあります。一人っ子の取り越し苦労でしたね」と笑顔で語ります。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。