取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺ったのは、9歳の子供を育てながら、フリーの専門職として働いている亜美さん(仮名・45歳)。神奈川県出身で、両親との3人家族。亜美さんは両親からの溺愛を受け、小さい頃から本人曰くわがまま放題だったそう。仕事人間の父は休みの日に、母親は亜美さんが10歳になるまでは働きに出ず、いつも側にいてくれました。
「当時は自分のことをわがままだなんて思ったことはありませんでした。周りにちやほやされることも普通のことだったから。父は基本的に仕事人間だったけど、どんなに疲れていても休みの日には遊びに連れて行ってくれたし、母親はとにかく私のことを褒めてくれた。元々真面目なタイプだったこともあり、両親から怒られることはほとんどありませんでしたね」
大学進学を機に始まっていた母親の借金。知らずに就職後もすねをかじり続けていた
亜美さんは高校までの一貫校を卒業し、大学は受験を経て、希望校に進学。家から通学するには少し遠いこともあり、父親から一人暮らしを勧められます。
「私は世間知らずなところがあったから、父親から一人暮らしを勧められました。私は父から言われた通りに一人暮らしをしたんですが、実家を出ることについては嬉しいことも、嫌だった記憶もないですね。
でも、その頃には家計が傾いていたというか、昔からの贅沢が影響していたのか、私の大学資金をきっかけに母親が、私はもちろん、父にも内緒で借金を重ねるようになっていたんです」
家計のことなどまったく知らなかった亜美さんは大学に通い続け、就職活動の時に最初の挫折を経験します。
「今まで特に苦労することなく、すべてうまくいっていたから、何の根拠もなく、就職も希望したところに当然入れると思っていたんですよ(苦笑)。みんながリクルートスーツを着て就活する間もずっとぼんやりしていて、私が動き出したのは4年の9月頃から。案の定、まったく希望していたところに受かりませんでした。そして卒業ギリギリにやっと、学校に求人の出ていたテレビの制作会社で放送作家の卵として、引っかかることができました。でも、給料がとても1人で食べていける額ではなくて、最初は親から援助をしてもらっていました。就職してからも親のすねをかじり続けてしまったんですよ。知らなかったとしても、これもよくなかったんですよね。その間も母親はさらに借金を重ねていて……」
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