母親に言った『もういいよ』という言葉。私は母親の味方でいなければと思ってしまい……
明美さんが働き出して10年ほど経った頃、両親は今まで以上に大きなケンカに発展したそう。それを見た明美さんは母親にある言葉をかけたと言います。
「『もういいよ』って言いました。母親は私たち子供のために必死に別れないように頑張っていたように見えていました。それをわかっていても親の離婚を子供がすすめることなんてずっとできなくて。でもその言葉は辛そうな母親を見て、何も考えずにポロっと出たんですよね。
その後家族で話し合いをして、父と妹は実家に残って、母親と私は別の場所にアパートを借りての2人暮らしが始まりました。私は母親とうまくいっていたけど、父と妹はあまりうまくいかなったようで、妹はしばらくして家を出ました。そして、その後1人になった父親とは10年ぐらい疎遠になったんです」
10年もの間、父親と連絡を取らなかった理由を聞いてみたところ、
「“父をかわいそうだと思いたくなかった”からでしょうか。父親は一人暮らしになってから、お酒のせいで体調を崩していました。そんな弱った父の姿を見たくなかったんです。もし会ってしまって同情してしまっても、私は父親と一緒に暮らすことはできません。母親は若い時に結婚した分、父に押さえつけられていたという記憶が残っていて、妹の結婚式の時には一緒に参列するのを嫌がったほどでした。もし父のことを心配しているって気づかれては母のことを傷つけてしまうんじゃないかなって思い込んでいたんです」
「でも」とそのまま明美さんは言葉を続けます。
「妹の結婚式や法事などで久しぶりに会った父親は想像以上に老いていて、親の死というものをリアルに感じました。死んでしまったらもう親孝行はできない。なら、今どちらの親にもできることをしたいって思ったんです」
明美さんは今も母親と暮らしながら、週に1、2度のペースで父親に会いに行っていると言います。
「どちらかにつくとか関係なかったんですよね。母親も私の行動に何かを言うことはありません。両親が離婚したって、どちらもずっと私の親。そのことに気づくまで少し時間がかかってしまいました。今はその10年を取り戻すため、親孝行の真っ最中です」と笑顔で語ります。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。