仕事人間だった父が転職により毎晩早く帰ってくるように。3人の食卓はぎこちなさしかなかった
父親のいない分も母親からは厳しく躾けられていたかというと、残っているのは優しかった記憶ばかりだとか。なにかを厳しく躾けられたことはない、とハッキリ口にします。
「私はどちらかというと真面目なほうだったこともあり、母親に怒られた記憶もあまりありません。勉強は普通よりはできたから、成績に関しては通信簿をチラッと見るくらい。テストの結果は見せたことがありませんし、見せてと言われたこともなかった。母親は私が学校に行っている時間はパートに出ていたんですが、家で一人にならないようにしてくれていました。夏休みなどの長期休暇は働きに行っていませんでした。夏休みの期間は、小学校の校庭で早朝にラジオ体操があったんですが、いつも一緒に行っていましたね。
でも、小さい頃に注意してほしかったという部分もあります。私は大人になるまで箸の持ち方がおかしくて、社会人になってから自分で矯正箸を買って直しました。恥ずかしいことだと、大人になるまで気づきもしなかった。キチンと箸を使えているのは親に躾られたという友人ばかりだったので、そこはもし自分に子供ができるなら、厳しめに躾けようと思っています」
父親に会わない日々が続いていた中、高校に進学して間もない頃に父親が会社を辞めてきたそう。
「なんで辞めたのかは知りません。すぐに働き出したので、クビとかではなく転職だと思うんですが、そこから父は19時とか20時などに帰ってくるようになったんです。正直、戸惑いました。中学ぐらいから顔を合わすことはあってもほぼ会話はなし。そんな父と毎日晩ご飯を一緒に食べて、寝るまでの時間を過ごすことになり、私だけではなく母親からも緊張感というか、ぎこちない気まずい空気感が伝わってきていました。家族だけど、まるで近所のおじさんと同居が始まったという感じでしょうか」
父親は家族との距離を埋めようとしていたのか、仕事帰りにケーキなどをよく買ってきていたそうですが……。
「高校生なんて、少しでも太ることが嫌な多感な時期。でも、食べたくないと言えるほど距離も近くない……。だから理由をつけて晩ご飯はいらないと母親に伝えていました。高校からアルバイトをしていたので少なかったけど晩御飯を買うお金はあったんですよ。反抗期もあって、高校時代は父だけでなく、母のことも避けるようになっていました。だから、両親の、母親の変化に気づきませんでした」
知らないうちにどんどん進行していった母の不満、そして両親の不仲。離婚したいという母親を一度は止めた亜由美さんでしたが。【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。