2025年1月9日、2024年に人手不足倒産が342件あったと調査会社・帝国データバンクは発表。従業員の退職や採用難、人件費高騰などを原因として倒産するケースが、調査を開始した2013年以降増え続けており、過去最高を更新したという。
繁之さん(64歳)は今、地方の小さな酒蔵で働いている。「定年後、驚くほど孤独になる。あるボランティア活動を経て、そこを乗り越えたから今がある」という。
最初の挫折は、父と同じ国立大学に不合格だったこと
繁之さんは幼い頃から勉強ができたという。
「モノの理解が早くて、記憶力があったんです。中学生くらいになると、多くの人が勉強ができなくて悩んでいることが不思議でしょうがなかったです」
実家は東京の下町にある団地。現在のイメージとは異なり、当時の団地は近代的なモダン住宅だった。父は大手企業に勤務するサラリーマン、母は専業主婦だった。
「高卒の母は、父の会社が入っているオフィスビルの地下にある、フルーツパーラーの住み込みの社員として勤務していた。母は栃木県出身で、高卒で上京しました。簿記も勉強していたので、事務職を志望。でも担任の先生に、“お前は女の子だし、顔が良くて根性もあり、愛想もいいから接客業が向いている”と言われ、パーラー勤務に決まったそうです」
今なら性差別かつ、外見による差別だと糾弾される発言だ。
「その話を聞いたとき、僕でも“ありえない”と思いましたよ。でも、母は“そんなもんかと始めたら、仕事は楽しいし、お客さんは優しいし、そのうちにパパに告白されて、結婚してあなたたちが生まれて幸せ”と言っていました。父は母を愛しており、ふたりがケンカしたところは見たことがありませんでした」
穏やかな家庭で育った繁之さんは、父と同じ国立大学を目指したが、不合格。私立大学の経済学部に進学する。
「これが最初の挫折。僕が入学する年、父の卒論の担当教授が学部長になって、父が“息子が行くからよろしくお願いします”などと電話をしてくれていたんです。それなのに落ちた。あのときは3日間寝込みました」
父の顔も見ることができず、泣きながら「ごめんなさい」と言った。父は「人生はいろんなことがあるもんだ。挫折もいいことだ」と笑っていた。だからこそ、国立に行けず、金銭的な負担をかけるのも辛かった。
「不本意ながら進学した大学は思いのほか楽しくて、雀荘、アルバイト先、彼女の家のトライアングルをぐるぐる回るという、お気楽大学生でした。それでも4年で卒業し、金融関連の大手企業に入れたのは私大のコネがあってこそ」
就職先は、懇意にしていた教授の紹介だったという。金融に興味があるわけではなかったが、母が「先生に言われて、流されたから今がある」と幸せそうに話す顔がよぎり、「行けるものなら、そこでもいい」と決める。
「僕は、定年退職するまで、自分の意思で行動したことがなかったんです。誰かが僕を引っ張ってくれて、誰かが自分のために、お膳立てしてくれる状況に慣れてしまうと、人生がゆっくりと腐っていく」
【「たそがれ研修」で「いずれ捨てられる」を実感する……次のページに続きます】