「子どもと離れたくない」と離婚を拒み続けた父親

元々東京に興味があったという美由紀さんは転職で上京。その時には両親は長期的な別居状態だったそう。上京はどちらに相談することもなく、1人で決めたと言います。

「もうその頃には相談しようとも思っていませんでした。少し前に母方の祖父が亡くなって祖母が1人になったからと母親はずっと自身の実家に居て、父親は葬儀こそ参加していましたが、その後の親族の食事会に参加することなく帰っていきました。あの時に両親の不仲は親族に知れ渡り、母がずっと実家に居ることを誰も不思議と思わなくなっただろうし。母親は姉と私に『おばあちゃんの側にいてあげないと』としきりに言っていました。老いた祖母を1人にできないのはわかるんですが、なんとなく父親と一緒に暮らさない言い訳をされているような感じがしました」

東京での暮らしを続ける中で帰省は年に1度あるかないか。実家に帰省してもいるのは父親だけ。2人きりになりたくない思いから、姉家族と時間を合わせていたとか。そんな中、父親の本心を聞くことになります。

「姉は20代後半で結婚して子どももいたので、孫がいたら父は孫にデレデレなのでなんとか間がもつなと。姉の旦那さんとも父はうまくいっているみたいで2人で飲み明かすことも多くて、私たち娘との会話はほとんどなくても成立するんですよね。母親のところには少し顔を出すこともありましたが、長居することはなかったですね。

昔、義兄と飲んで酔っ払った父親に勢いで聞いてみたことがあったんです。『なんで離婚しないのか』って。そしたら、『おまえたちと離れ離れになるのが嫌だった。親権は母親のほうが強いから』って言ったんですよ。こんなに長い間別居していてもずっと私たちが育った家で離婚せずに1人で暮らしていたのはそんな理由があったんだって、初めて知りました」

最後に、美由紀さんとご両親の現在の関係を聞いてみました。

「今はコロナの影響で帰れていないけど、近くに住む姉と連絡を取りながら、前までは年に3~4度は実家に帰っていました。母親とも同じくらいのペースで連絡を取り合っていますね。実は私も一度結婚、離婚を経験しています。子どもはいなかったから両親の気持ちがわからない部分もあるんですが、確実に離婚したいと思った時期がお互いにあってその時の思いは理解できます。それでも私たちのことがあって離婚したくないと言い続けた父親、離婚を強行することなく私たちに父親を残してくれた母親には感謝しています。大人になってからだから思えたことかもしれませんがね(苦笑)」

取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。

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