■越境するヴォーカル

ジャズ・ヴォーカルの歴史を振り返ってみると、1940年代半ばに興った“ビ・バップ”によってアドリブが高度化し、それに伴ってジャズ・ヴォーカルの世界も二分化したように思えます。

サラ・ヴォーンのように、声を楽器のように使うスキャット・ヴォーカルで器楽奏者たちと互角に渡り合うタイプと、カーメン・マクレエのように、比較的原曲に忠実でオーソドックスな歌唱を聴かせるタイプです。

後者では、ストリングス入りオーケストラやピアノ・トリオなど、多様な楽器編成こそあれ、歌い手とその伴奏による音楽という基本スタンスに変わりはありません。また、前者にしても、喧騒に満ちた“ビ・バップ”が過ぎ、より洗練された“ハード・バップ”の時代になると、歌手が中心で器楽演奏はその伴奏が役目という傾向が強くなったのです。

つまりどちらにしても歌手中心という、考えようによっては順当とも思えるヴォーカル・スタイルに私たちファンは長年慣らされてきたのでした。

そうした中、スティーヴ・コールマンが提唱する音楽理論「M—ベース(M-BASE)」を実践する「ファイヴ・エレメンツ」は、ヴォーカルと器楽演奏が緊密に連携したステージで、私たちに器楽演奏とヴォーカルの新しい関係を見せてくれたのです。夜の部こそ彼らの音楽の本領だったのです。

しかしこうした傾向は必ずしもジャズ・ヴォーカル全般に広がることはなく、90年代以降ごく最近に至るまで、伝統的な「歌手中心」、器楽演奏は「歌伴」としての役割、という関係が一般的だったのです。

というのも、こうしたヴォーカルと器楽が有機的に融合したスタイルはヴォーカリストの思惑だけでできるものではなく、器楽奏者であるバンド・リーダーの明確な意思がなければ実現できません。

しかしコールマンたちの「M—ベース」理論は、ある意味で時代に先んじすぎ、一部の先鋭的なファンの共感は得ることができても、一般的ファン層を摑むには至らなかったのです。

こうした昔から続いてきたヴォーカルと器楽演奏の分離現象が、ここ数年、明らかに変化を見せるようになりました。

変化の第一はヴォーカルの越境です。「越境」とは、従来ジャズ・ヴォーカルは「ヴォーカル・アルバム」という形で1枚のアルバムすべてが主役のヴォーカルで占められている、まあ、当たり前のフォーマットでした。それが近年、器楽奏者のアルバムにヴォーカル・トラックがゲスト的に交ざるケースが頻繁に表れるようになったのです。

象徴的だったのは、2012年に発表されたピアニスト、ロバート・グラスパーのアルバム『ブラック・レディオ』(ブルーノート)です。このアルバムには、エリカ・バドゥやレイラ・ハザウェイといったソウル系シンガーがゲスト参加しており、従来「ジャズ・ピアニスト」として活動していたグラスパーのイメージを変えると同時に、ジャズに興味をもっている「潜在的ファン層」にも一定の影響を与えたのです。

グラスパーはこのアルバムを、「従来のジャズ・ファンとそうでない人たちとの懸け橋となればよいと思って作った」と言っていますが、これはたいへん示唆に富んだ出来事といっていいでしょう。

グラスパーの発言に触発されたのか、あるいは、時代の空気を彼が先取りしたのか、実際にジャズ・アルバムにヴォーカル・トラックが挟み込まれるケースがきわめて頻繁に表れるようになったのです。この現象をジャズマンの立場から見れば、嫌でも自分の音楽に「自然に」ヴォーカルを取り入れることを考えざるを得ないことになります。

つまり30年も前にスティーヴ・コールマンたちが実践し、しかし「時期尚早」のため広がりをもたなかった考え方が、今や一種の「必然」となったのです!

そしてこのことをヴォーカリストの側から見れば、たんに自分の歌に専念するだけではなく、器楽奏者たちの演奏に自然に溶け込み、ともに音楽を形づくるようなスタンスが求められます。カサンドラはヴォーカリストとしての経歴のごく初期にこうした体験をしており、それが彼女の音楽的財産となっているのです。

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