はじめに-小泉八雲とはどのような人物だったのか
明治時代、日本の風俗・信仰・伝説に深い愛情を注ぎ、それを欧米に紹介した文筆家がいました。彼の名は、小泉八雲(こいずみ・やくも)――ギリシャ生まれのラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)です。
小泉八雲は日本を「美しい精神の国」として捉え、ただの異国趣味ではなく、そこに息づく人々の心や営みに迫る文章を残しました。そして、日本で人生の伴侶となる女性・小泉セツとの出会いが、彼の運命を大きく変えていきます。
この記事では、小泉八雲について史実をベースに紐解いていきます。
連続テレビ小説第113作『ばけばけ』では、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)をモデルにしたレフカダ・ヘブン(演:トミー・バストウ)が世界中で自分の居場所を探し続けながら、松江にやって来た英語教師として描かれます。

小泉八雲が生きた時代
19世紀後半から20世紀初頭、日本は明治維新を経て近代国家への道を歩み始めていました。西洋化が急速に進み、都市の風景も人々の暮らしぶりも大きく変化していきます。しかし、その一方で、地方にはまだ「古きよき日本」が息づいていました。
小泉八雲が見出したのは、そうした地方に残る「日本人の精神」――伝統、信仰、そして日常の美しさでした。松江の町や、妻・セツの語る民話に触れることで、彼はその本質を深く理解していきます。
小泉八雲の生涯と主な出来事
小泉八雲は1850年に生まれ、1904年に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
ギリシャに生まれ、アイルランド、そしてアメリカへ
1850年、ギリシャのレフカダ島にて、アイルランド人の軍医チャールズ・ブッシュと、地元出身のギリシャ人ローザ・カシマチの間に誕生。レフカダ島にちなみ、ラフカディオと名づけられました。
2歳のとき、父の故郷であるアイルランド・ダブリンに移住。しかしその後、両親は離婚し、幼くして家庭の崩壊を経験します。16歳のときには左目を失明。感受性の強い少年だった彼は、外見への強いコンプレックスと孤独を抱えるようになりました。
19歳で単身アメリカへ渡ると、シンシナティやニューオーリンズで新聞記者として活躍。街の人々の暮らしに密着した記事を執筆しながら、当時欧米であまり知られていなかったフランス文学の翻訳・紹介にも尽力します。ゴーチエ、ボードレール、モーパッサンらの作品を通じて、その文学的センスは高く評価されました。
やがて自身の創作活動も本格化。小説『チタ(Chita)』(1889)、『ユーマ(Youma)』(1890)、そして西インド諸島での体験を綴った紀行文集『仏領西インドの二年間(Two Years in the French West Indies)』(1890)などを発表し、作家としての地位を確立していきます。
【日本との出会い、そしてセツとの結婚。次ページに続きます】
