文・写真/東リカ(海外書き人クラブ/ポルトガル在住ライター)

ポルトガル・リスボンの近郊に位置するシントラは、英国詩人バイロンが「この世のエデン」と讃えた山間の美しい街です。中世には王族や貴族たちの避暑地として栄え、今も多くの宮殿が残っています。その建築と自然の見事な融合が評価され、1995年には「シントラの文化的景観」として地域一帯が世界遺産に指定されました。
「シントラ宮殿」、「ペナ宮殿」などが観光スポットとして有名ですが、ここでは少しマニアックに、世界中のセレブも宿泊する5つ星ホテルとして営業する「セテアイス宮殿(Palacio de Seteais)」のホテルスタッフに教えてもらった宮殿の知られざる歴史をご紹介します。
始まりはブラジルのダイヤモンド貿易

セテアイス宮殿が完成したのは1787年のこと。在リスボン・オランダ領事を務めた大商人ダニエル・ヒルデメーステル(Daniel Gildemeester, 1717-1793)氏が、定年後、妻と余生を過ごそうと美しいシントラに居を構えることにしたのです。ブラジル産ダイヤモンドの輸出独占権を保有していた氏は、ポルトガル王室を顧客にしたダイヤモンド貿易で莫大な財産を築いており、金に糸目をつけず建てられた庭と宮殿は、とても美しいものでした。

宮殿が完成すると、当時の社交界の中心人物であった彼は、大勢の貴族や外国からの使節、商人や詩人、作家、画家といったアーティストなど250人を招き、この宮殿の完成、自身の定年、そして70歳の誕生日の3つを祝うパーティーを開催しました。現在はレストランのベランダ席となっているところがメインエントランスで、パーティー当日には、この前に何台もの馬車が並び、豪華に着飾った人々が次々と右手の階段を上っていきました。

お酒や食事の並ぶ19メートルにもなる長テーブル、美しい衣装に身を包んだ踊り子や音楽家たちが招待客を迎えました。そして数時間が経過し、宴もたけなわになった頃、満を持してヒルデメーステル氏が豪華な貴賓室の扉を開けて登場し、彼らを出迎えたんだとか。
当時、「ポルトガル史上で最も豪華だ」と言われたこのオープニングパーティを皮切りに、彼が亡くなるまで宮殿は、国際的な社交・外交の舞台として賑わいました。
ポルトガル王はセテアイス宮殿を訪れたのか

ヒルデメーステル氏が亡くなると、妻は1796年に宮殿をポルトガルの名門貴族、マリアルヴァ侯爵家の第5代当主ドン・ディオゴ・ヴィト(D. Diogo Vito, the 5th Marquis of Marialva)に売却。
社交好きだった侯爵は、ヒルデメーステル氏同様、頻繁に豪華なパーティーを開催。セテアイス宮殿はポルトガル宮廷社会の文化的できらびやかな社交の舞台として名を馳せ、ここに招待されることがヨーロッパ中のエリート層の憧れとなりました。
そしてついには、権力の頂点であるポルトガル王ジョアン6世も宮殿への1802年に来訪を約束しました。感激したディオゴ・ヴィト侯爵は、なんと財産を投げ打って、王を迎えるためにヒルデメーステル氏が建築した当時の宮殿と対となるように、同じ造りでもう1つ宮殿を増築したのです。そして、この2つの宮殿を、王と王女を讃える凱旋門で結びました。

しかし、王が実際にこの宮殿を訪れたという公式記録は見つかっていません。
宮殿を案内してくれたホテルスタッフのディオゴさんは、ジョアン6世のセテアイス宮殿訪問は延期され、侯爵は翌年、失意の中、死亡してしまったと考えています。1807年にナポレオンの進撃を恐れたジョアン6世がブラジルへと逃亡してしまう、いわゆる「ポルトガル宮廷のブラジル移転」が起こっているので、結局、王らが凱旋門を見ることはなかったのかもしれません。

6代当主としてディオゴ・ヴィト侯爵の後をついだのは、派手な父親とは正反対の学者肌で引きこもり系の息子。宮殿できらびやかなパーティーが催されることはなくなりました。
6代当主は、パリで大使としての任務を受けるとパリへと移住し、ポルトガルへ帰ることなく死を迎えました。彼は生涯独身で子供もいません。放棄されたセテアイス宮殿は、次第にその輝きを失っていきました。
「この世のエデン」を満喫できるホテルに

時は流れ、忘れ去られていた宮殿が再びその文化的価値を見出されたのは20世紀になってからのこと。1946年にはポルトガル政府が宮殿を公共の利益のための文化財に指定し、管理することになりました。そして、1955年に20世紀のポルトガルを代表する建築家、ラウル(ハウル)・リーノ(Raul Lino)によって、ホテルへと改修工事が行われました。
オープン以降、当時の家具や内装をそのまま活かした美しいホテルは、世界中のセレブを始め、多くの旅行者を魅了しています。また、ロマンチックな結婚式会場としても利用されています。特に、ディオゴ・ヴィト侯爵が建造した凱旋アーチからは、鮮やかなペナ宮殿が望め、人気の写真スポットになっています。もし宿泊する機会があれば、この宮殿の歴史にも思いを馳せてみてくださいね。
Valverde Sintra Palácio de Seteais
住所:Rua Barbosa du Bocage 8, 2710-517, Sintra, Portugal
https://www.valverdepalacioseteais.com/en/
※シントラの旧市街から徒歩15分程度。空港からの送迎サービスあり。
文・写真/東リカ
ブラジル、アメリカを経てポルトガル在住のライター。著書に「好きなことして、いい顔で生きていく ~風変わりな街ポートランドで、自分らしさを貫く15の物語~」。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」会員(https://www.kaigaikakibito.com/)。
