皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜい)とは、藤原俊成(ふじわらのとしなり)のことです。権中納言藤原俊忠(としただ)の子で、百人一首の撰者、藤原定家の父です。平安時代の権力者として有名な、藤原道長の玄孫(やしゃご)にあたります。勅撰集の『千載集(せんざいしゅう)』の撰者で、西行法師と並ぶ、平安末期最大の歌人です。
歌論書『古来風躰抄(こらいふうていしょう)』では、優美で神秘的な奥深さを洗練された言葉で表現する「幽玄体」(ゆうげんたい)という歌風や「本歌取り(ほんかどり)」、「本説どり(ほんせつどり)」の技法を確立しました。
目次
皇太后宮大夫俊成の百人一首「世の中よ~」の全文と現代語訳
皇太后宮大夫俊成が詠んだ有名な和歌は?
皇太后宮大夫俊成ゆかりの地
最後に
皇太后宮大夫俊成の百人一首「世の中よ~」の全文と現代語訳
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
【現代語訳】
この世の中には逃れる道はないものだ。一途に思い詰めて入った山の奥にも、悲しげに鳴く鹿の声が聞こえる。
『小倉百人一首』83番『千載集』151番に収められています。『千載集』の詞書には「述懐の百首歌詠みはべりける時、鹿の歌とて詠める」とあります。「述懐の百首」とは、俊成が詠んだ百首の歌を収めた「俊成卿述懐百首」(しゅんぜいきょうじゅっかいひゃくしゅ)のことで、俊成が27歳頃に詠まれた歌とされています。
このころ、西行をはじめ、友人たちが次々と出家し、俊成自身も出家への迷いがあったのかもしれません。「道こそなけれ」は、逃れる道はないのだという意味で、「こそ」で強調しています。「思ひ入る」は深く考え込むことですが、ここでは隠遁しようと深く考えていることを指します。この「入る」には、山に「入る」が重ねられています。
「山の奥」には仏道修行にふさわしい、孤独な静けさがあるといった気持ちが込められています。思いつめて入ったそんな場所でも、悲し気な鹿の鳴き声が聞こえてくる。いわば、現世から容易に逃れられない、捨てきれないということを実感させられる憂愁が詠まれています。
皇太后宮大夫俊成が詠んだ有名な和歌は?
俊成は、平安時代の代表的な歌人であるだけに、多くの歌を残しています。代表的な歌を二首紹介します。
1:夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉(うずら)なくなり 深草(ふかくさ)の里
【現代語訳】
夕暮れになると、野原を吹き抜ける秋風が身にしみて、鶉が鳴いていることだ、この深草の里では。
『千載集』259番に収められています。この歌は『伊勢物語』にある歌を元に、いわゆる本歌取りで作られたものです。
元の歌は「野とならば 鶉となりて 鳴きをらむ 狩りにだにやは 君は来ざらむ」です。
【現代語訳】
荒れ果てた草深い野になればわたしは鶉になって鳴いているでしょう、そうすればあなたは狩りにだけでも来ることはないでしょうか
この歌をモチーフにしているので、「鶉」は女を指すだろうし、「秋」は「飽き」と重ねられ、男に飽きられてしまったという意味を含みます。そして、それが深草の里を訪れた人物の「身にしみて」いるのです。
2:面影に 花の姿を 先立てて 幾重越え来ぬ 峯の白雲
【現代語訳】
美しく咲く花の姿を思い描き、その面影を先に行かせながらいくつ越えてきてしまったことだろう、峰にかかる白雲を。
『新勅撰和歌集』に収められています。「遠く山の花を尋ぬ」という題で、詠まれたものです。鴨長明(かものちょうめい)の『無名抄(むみょうしょう)』によると、俊恵(しゅんえ)が、世間ではこの歌を俊成の自賛歌としていると語りかけたところ、俊成は先ほどの「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」を自賛歌と考えていると言ったとあります。
皇太后宮大夫俊成ゆかりの地
皇太后宮大夫俊成に、ゆかりのある場所を紹介します。
俊成社(しゅんぜいしゃ)
邸宅は、五条大路(現在の松原通)の烏丸小路から室町小路に及び、そのため俊成は五条三位と呼ばれていました。時の流れにつれて周りの環境も変化し、現在は京都市下京区俊成町のホテル・京都ベース・四条烏丸の玄関横にあります。
最後に
この歌は、現代を生きる私たちにも通じる普遍的なメッセージを持っています。SNSやスマートフォンが遍在する現代社会において、真の安らぎを求めることの難しさは、平安時代と本質的には変わっていないのかもしれませんね。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり
国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館
百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp