「花の画家」とも呼ばれ、「いのち」を見つめて描き続けた堀文子さんのアトリエが大磯町(神奈川県)にある。このアトリエを保存し、画家の業績や思いを後世に伝える試みが始まった。

大磯のアトリエの庭に毎年、花を咲かせる紅梅を描いた作品。88歳の時のものだ。堀さんにとって大磯の庭は、創作意欲を搔き立てる素材の宝庫だった。
『紅梅』2007年、19×36㎝。
アトリエで、およそ40年前の自作『マヤの落日』に手を入れる堀さん。
2002年6月。撮影/高橋 曻

平成の終わり、2019年2月5日に、画家・堀文子さんが100歳でこの世を去ってから、2年が経った。最晩年を過ごした大磯町(神奈川県)の高麗山のアトリエは、主のいた時のまま残る。

アトリエの東側には、樹齢300年以上の巨木ホルトノキがある。この実をポルトガルのオリーブの実と見間違えた平賀源内がホルトノキと名付けた。神奈川県では珍しい古木だ。かつてバブルなりし頃、再開発の波を受け、伐採の危機にさらされた。それを知った堀さんが私財をなげうって守ったのが、このホルトノキなのである。

名もなきものへの思い

80代の堀さんは肉眼では見えない世界に魅了される。時には、ミジンコを、真夜中まで顕微鏡で覗き込んだ。
『極微の宇宙に生きるものたち II』2002年、
45.5×38cm。

堀さんが守ろうとしたホルトノキ。そして堀さんの数々の作品を世に送り出したアトリエ。これらを後世に残したい……そんな思いが全国各地から寄せられた。そこで一般財団法人堀文子記念館が中心となり、「堀文子ホルトノキの会」が発足したというニュースが飛び込んできた。

堀さんは実際、大磯の自然をモチーフにした作品が多い。例えば庭先の紅梅。あるいは白木蓮。萩、ドクダミ。軒にできた蜘蛛の巣を一心不乱に描いたこともあった。庭の甕の中ではミジンコを飼い、それを研究者が使う本格的な顕微鏡で覗いては、極微の生物の神秘を描いた。晩年、堀さんが好んで描いたのは「名もなきもの」──庭の雑草だった。

誰も知らぬ路傍に、褒められもせず、踏まれても雨風に打たれてもへこたれず毎年緑を繁らせる、こんなけなげな草を、人は雑草と蔑んでいる。人の手で栽培された草達は、色も形も派手派手しいが、水やりだ、栄養だ、害虫だと世話をやき続けなければ生きられないものが多い。山野に自生していたままの姿で、人の助けを受けず裏方の運命を今も生き続ける雑草の逞しい底力を、尊敬せずには居られない(堀文子『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ』)

世の中は目立つものだけで成り立つのではない。名もなきものが世界を支えている。そのことに堀さんは刺激を受け、筆をとった。

84歳の頃の堀さん。ホルトノキと共に。逃げもせず他を攻めず、風雪に耐える巨木に、堀さんは王者の風格をみていた。撮影/高橋 曻
晩年、体が弱り外出もままならなくなった時に目を向けたのが、庭の「名もなきもの」たちだった。
『名もなき草達』2015年、41.7×32.5cm。名都美術館蔵

画家が草木の命の移ろいに魅せられた大磯・高麗山のアトリエ

奥の白い建物が、大磯のアトリエ。左の渡り廊下で住まいと繋つながっている。堀さんは49歳の時に自然の中での暮らしを決意する。
アトリエの入口。年譜(左の壁)と自画像が出迎える。現在、「堀文子ホルトノキの会」会員への公開に向け、準備が進んでいる。写真/杉﨑行恭
白寿を迎えた堀さん。アトリエには金槌やカッターなど画家らしからぬ工具が揃う。書架も美術書はほとんどなく、昆虫や宇宙の本で占められていた。

堀文子さんは、亡くなる直前まで、ひとり、大磯のアトリエで創作を続けた。

「もういい」という時がないんですね。絵にも驚きにも終わりがない。唯一終わりがあるとしたら、死ぬことかしら。だってこればっかりは100%の確率なんですから(『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ』)

堀さんには、画風というものがなかった。とどまることに抗い、常に挑戦し続けた。

それはなぜか? 堀さんは「慣れる」ことを恐れた。慣れれば、驚きも感動もなくなる。堀さんは、ひたすらその日に感じたことを絵にした。刻々と移ろう命の不思議を、描きとめんとした。

この世の不思議さ、美しさ、この感動を記録したい。ただそれだけです。でも、新しい感動をどう表現すればいいのか、いつもわからない。白い紙に描くときの震えは、いつまでたっても同じです(同前)

画家の息づかいが残る空間

堀さんのアトリエは、今、「堀文子ホルトノキの会」会員への限定公開に向け、着々と準備が進んでいる。アトリエの壁には、堀さんの知られざる作品が掛けられ、貝殻や蝉の抜け殻など、堀さんが集めた宝物も、当時のまま、並べられている。書架の科学雑誌『ニュートン』や『ナショナルジオグラフィック』もその時のままだ。

何よりも堀さんが座っていた椅子、使っていたテーブル、絵筆、小皿もそのまま。堀さんの息づかいが、まだしっかりとそこに残っていた。

中華料理店でもらい受けた回転テーブルの上に画板を置き、動かしながら描いた。板に貼られた紙には、下書きの線が残る。写真/杉﨑行恭
アトリエに残された品々。堀さんは、枯れ葉を集めては紙に貼り付け保存した。葉の虫食いに、堀さんは神が生み出した芸術を見た。
蝉の抜け殻や玉虫も、堀さんにとっては愛おしいものとなる。自然の造形の奇跡に、堀さんは日々驚き、感動していた。
堀さんいわく、「好きなものに出会うと初対面でも感動する」。貝殻の造形もまた、堀さんにとっては共感する美しさだった。

堀文子(ほり・ふみこ)
1918年(大正7)、東京生まれ。女子美術専門学校(現・女子美術大学)で日本画を学ぶ。49歳の時に神奈川県大磯町へ転居。自然界にモチーフを求め国内外を旅し、2019年2月5日逝去。
堀文子さんが生前に残した言葉を集めた『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ』。堀さんの生き方が伝わってくる。小学館・1300円。

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「堀文子ホルトノキの会」会員募集のお知らせ
「堀文子ホルトノキの会」の会員の募集が始まっている。堀文子さんの画業や生き方を後世に伝え、アトリエやホルトノキを守っていくことを目的とし、ゆくゆくは、大磯のアトリエを、堀文子さんの作品を愛する人たちが集う「堀文子記念館」にしていきたいという構想がある。会報誌の発行や、入会時の堀文子オリジナルグッズの進呈、堀文子アトリエ見学会、グッズの割引販売など特典を多数用意する。年会費2000円。
●問い合わせ先
一般財団法人 堀文子記念館東京事務所 「堀文子ホルトノキの会」
電話:03・6274・6973
E-mail:info@horifumiko-foundation.jp
http://www.horifumiko-foundation.jp

取材・文/角山祥道 写真/宮地 工(特記以外) 協力/ナカジマアート

※この記事は『サライ』本誌2021年3月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。

 

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