新着記事

【管理栄養士が教える減塩レシピ】|夏野菜の定番!旬のトマトの甘みと旨味を生かして減塩

【管理栄養士が教える減塩レシピ】夏野菜の定番!甘みと旨味を生かした旬のトマトの料理法

退職金を受け取る前に|セカンドライフで気になるイベントやお金のこと【今からはじめるリタイアメントプランニング】

退職金を受け取る前にやるべきこと、やってはいけないこと【今からはじめるリタイアメントプランニング】

「優しいリーダー」が注目される理由

【ビジネスの極意】「優しいリーダー」が注目される理由

牛革天然藍染めの小物|手染め感が味わい深い、阿波藍染の革小物

悲しげなクルーズカイーダの像

マイケル・ジャクソンが有名にした観光地サルバドールの光と影|倒れた十字架のレクイエム(ブラジル)

バランス栄養食品

朝食のかわり?お菓子のかわり?|バランス栄養食品で人気は「カロリーメイト」と「SOYJOY」

松浦武四郎~「北海道」の名づけ親【にっぽん歴史夜話19】

松浦武四郎~「北海道」の名づけ親【にっぽん歴史夜話19】

前列中央から時計回りに、ご飯、野蕗のきゃらぶき、煎り豆腐(人参)、鶏そぼろ、漬物(胡瓜と人参の糠漬け・壬生菜・刻み沢庵)、焼き海苔、ごんげん蒸し、大根おろし(葱・鰹節・胡麻)、納豆(葱)、絹さやの浸し(鰹節)、味噌汁(豆腐・若布・葱)、中央右は焼き鮭、左は蒲鉾と山葵漬け。今朝は小鉢に盛っているが、常備菜のきゃらぶきや煎り豆腐、鶏そぼろ、加えてごんげん蒸しなどは大皿で登場し、取り分けていただくことが多い。絹さやは昨夜の残りを浸しに。蒲鉾は、山葵漬け(静岡『野桜本店』の激辛口)をつけて食す。焼き海苔は東京・品川の『みの屋海苔店』のものを愛食。焼き海苔とごんげん蒸しの器の模様は、定紋である揚羽蝶。

【朝めし自慢】中村歌六(歌舞伎役者・68歳)「カミさん手製の常備菜以外は僕が作ります」

倭ism 鹿革のカジュアルシューズ|履き込むほどに味が出る、大人の快適スニーカー

Abbaye Saint Martin du Canigou(C)ADT66(1)

想像もできない切り立ったピレネー山脈の尖峰に建つ天空の修道院|「サン・マルタン・デュ・カニグー修道院」(フランス)

LINE公式アカウントでも記事を配信中

友だち追加

お気軽に友達追加してください

サライ本誌最新号(クリックで試し読み)

サライ7月号付録「筋トレチューブ」トレーニング動画公開中!

通販別冊『大人の逸品』最新号はこちら

ピックアップ記事

  1. ゆったりした船上にラウンジのようなソファが設えてあり、最大8人が乗れる。風を感じながら航走する爽快感を分かち合える。
  2. 美しい海に囲まれたラロトンガ島。ここムリビーチは島を代表するビーチで、遠浅のラグーンに、白い砂浜が広がる。
  3. ファストバックはリアのデザインが特徴的。セダンは伸びやかなデザインでありながら「塊感」があり、走る姿も美しいと想像させるものに仕上がっている。

>>過去の記事へ

サライの通販

>>過去の記事へ

旅行

細川ガラシャ悲劇の序曲!本能寺の変後に丹後で何がおきたのか?【謎解き歴史紀行「半島をゆく」歴史解説編】丹後半島

宮津小学校正門。かつての宮津城太鼓門が整備移築された。

かつての宮津城太鼓門が整備移築された、宮津小学校正門。写真提供/宮津市観光交流課

歴史作家・安部龍太郎氏による『サライ』本誌の好評連載「謎解き歴史紀行~半島をゆく」。「サライ.jp」では本誌と連動した歴史解説編を、歴史学者・藤田達生先生(三重大学教授)がお届けしています。今回は丹後半島編の3回目、共に丹後に拠りつつ本能寺変後に明暗が分かれた細川・一色両氏と、後にガラシャとなる細川忠興夫人・玉子の運命に迫ります。

「丹後半島編」の旅の初日、京都丹後鉄道・天橋立駅から籠神社への移動の車中で、丹波守護、一色氏の最後の居城となった弓木城(与謝野町)の位置を、籠神社禰宜の海部殻成さんお聞きした。残念ながら、時間の都合もあって立ち寄ることはかなわなかったが、車窓からは町役場近くにある城山を確認することができた。

天正8年(1580)8月、織田信長の命を受けた細川藤孝・忠興父子は丹後に入国し、八幡山城(宮津市)に入り、宮津湾に面した新城の築城を開始する。これが、宮津城である。丹後府中と宮津のほぼ中間地点に位置する弓木城には、一色義定(義有)がおり、細川氏とは対等の関係にあった。

細川氏は丹後国内の与謝・加佐の二郡を、一色氏は中・竹野・熊野の三郡を支配し、隣国丹波を領有した明智光秀が彼らを統率した。光秀は、両氏の緊張関係を和らげようと、藤孝の息女伊也を一色藤定に嫁がせている。

信長の指示によって宮津築城は急ピッチで進められるが、光秀も援助したようである。光秀の織田家中内の立場に加えて、藤孝との年来の交友関係、さらには忠興が息女玉子(後のガラシャ 1563~1600)の婿だったことにもよるであろう。

現在、宮津城跡は市街地化が進み、わずかに本丸北部石垣の一部が残存するほか遺構は消滅している。ただし、太鼓門が整備されて宮津小学校正門に、本丸玄関が愛宕神社本殿(与謝野町)に移築され、現存するのはありがたい。近年、大手川沿いに城壁が一部復元され、かつての宮津城を偲ぶことができるようになった。

細川父子と玉子が、新城に入ったのは天正9年3月のことだった。翌天正10年6月2日に本能寺の変がおこるが、細川・一色両氏の対応はまったく異なったといわれる。

一色氏は光秀に従い、細川氏は味方せず、同年9月に一色義定は宮津に呼び出され謀殺される。

筆者は、細川氏の丹後支配にとって、かねてから一色氏が障害となっていたため、政治混乱に乗じてだまし討ちを行なったとみている。謀殺事件が、本能寺の変後3か月も経っていることからも、不自然である。これによって、丹後一色氏は滅亡したのであるが、後に細川氏はその祟りを恐れ、城内に鎮魂のための神社(一色稲荷社)を建立した。

室町幕府の名門・一色一族の鎮魂のために造営された一色稲荷社。写真提供/宮津市観光交流課

室町幕府以来の名門、一色一族の鎮魂のために細川氏により造営された一色稲荷社。写真提供/宮津市観光交流課

ページ:

1

2 3 4

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

関連記事

  1. 中浦ジュリアン フロイスとジュリアン、長崎県西海市内で見たふたつの像【半島をゆく…
  2. (スケッチと実写の八の子島) 船上から見た八の子島。山頂の十字架が往時の雰囲気を醸し出す。 佐世保湾に浮かぶ十字架を頂いた神秘の小島をスケッチ【半島をゆく …
  3. 本丸跡にたつ天草四郎像。 天草・島原のキリシタン一揆はなぜ原古城に籠もったのか?【半島をゆ…
  4. 横瀬浦公園(長崎県西海市)にあるルイス・フロイス像。 なぜイエズス会は長崎で多くの信者を獲得できたのか?【半島をゆく …
  5. イエズス会の巡察使として来日したヴァリニャーノ(南島原市口之津公園にある銅像) 「バテレン追放」|日本の植民地化危機を救った秀吉の決断【半島をゆ…
PAGE TOP