新着記事

【日本ワイン生産者の肖像4】近藤良介さん(KONDOヴィンヤード)北海道・空知でジョージアの古式グベヴェヴリ製法に挑む

取材・文/鳥海美奈子そのワインには、スケール感がある。伸びやかで、ダイナミックで、香気が漂う…

【夕刊サライ/川合俊一】株を始めると時事ネタに強くなる、話題がデカくなる!(川合俊一の暮らし・家計コラム 第3回)

夕刊サライは本誌では読めないプレミアムエッセイを、月~金の毎夕17:00に更新しています。火…

唯一無二の音楽集団ピンク・マティーニが5年ぶりに来日公演@ブルーノート東京

20世紀のあらゆる時代や国のポピュラー・ソングを、ハリウッド映画黄金時代のジャズ・バンドを思…

サカナイフ|魚をさばくために生まれた特別なナイフ

魚の一尾ぐらいは手際よくおろせるようになりたい。そう思ってはみても、なかなか実践に踏み出せず…

知っていればちょっと威張れる!プロサッカー面白トリビア5連発

文/鈴木拓也いよいよ開幕した2018 FIFAワールドカップ ロシア大会。日本代表の…

【夕刊サライ/神取忍】毎日の心がけ、目線を上げて体を動かせば気持ちも前向きに!(神取忍の健康・スポーツコラム 第3回)

夕刊サライは本誌では読めないプレミアムエッセイを、月~金の毎夕17:00に更新しています。月…

ボルガ河クルーズ、ロシアの原風景を堪能する魅惑の船旅

文/印南敦史古くからヨーロッパ諸国と肩を並べ、日本の45倍もの国土を持つ「北の大国」として君…

災害時、愛するペットと避難するため用意しておくもの

6月18日の朝、大阪北部を震源とする最大震度6弱の地震が近畿地方一円を襲いました。事態は予断を許さな…

大人のデニムキャップ|経年変化が楽しめる落ち着いたデニムの帽子

デニムのキャップというと子ども用のイメージもあるが、本品は、年齢を重ねた大人にお薦めすべく、…

なんとそんな効果も!あなたが知らないビタミンCの7つの働き

文/緒方文大昨今の「アンチエイジングブーム」により、老化を防ぐ作用のある「抗酸化物質…

サライ最新号

ピックアップ記事

>>過去の記事へ

サライの通販

>>過去の記事へ

旅行

細川ガラシャ悲劇の序曲!本能寺の変後に丹後で何がおきたのか?【謎解き歴史紀行「半島をゆく」歴史解説編】丹後半島

宮津小学校正門。かつての宮津城太鼓門が整備移築された。

かつての宮津城太鼓門が整備移築された、宮津小学校正門。写真提供/宮津市観光交流課

歴史作家・安部龍太郎氏による『サライ』本誌の好評連載「謎解き歴史紀行~半島をゆく」。「サライ.jp」では本誌と連動した歴史解説編を、歴史学者・藤田達生先生(三重大学教授)がお届けしています。今回は丹後半島編の3回目、共に丹後に拠りつつ本能寺変後に明暗が分かれた細川・一色両氏と、後にガラシャとなる細川忠興夫人・玉子の運命に迫ります。

「丹後半島編」の旅の初日、京都丹後鉄道・天橋立駅から籠神社への移動の車中で、丹波守護、一色氏の最後の居城となった弓木城(与謝野町)の位置を、籠神社禰宜の海部殻成さんお聞きした。残念ながら、時間の都合もあって立ち寄ることはかなわなかったが、車窓からは町役場近くにある城山を確認することができた。

天正8年(1580)8月、織田信長の命を受けた細川藤孝・忠興父子は丹後に入国し、八幡山城(宮津市)に入り、宮津湾に面した新城の築城を開始する。これが、宮津城である。丹後府中と宮津のほぼ中間地点に位置する弓木城には、一色義定(義有)がおり、細川氏とは対等の関係にあった。

細川氏は丹後国内の与謝・加佐の二郡を、一色氏は中・竹野・熊野の三郡を支配し、隣国丹波を領有した明智光秀が彼らを統率した。光秀は、両氏の緊張関係を和らげようと、藤孝の息女伊也を一色藤定に嫁がせている。

信長の指示によって宮津築城は急ピッチで進められるが、光秀も援助したようである。光秀の織田家中内の立場に加えて、藤孝との年来の交友関係、さらには忠興が息女玉子(後のガラシャ 1563~1600)の婿だったことにもよるであろう。

現在、宮津城跡は市街地化が進み、わずかに本丸北部石垣の一部が残存するほか遺構は消滅している。ただし、太鼓門が整備されて宮津小学校正門に、本丸玄関が愛宕神社本殿(与謝野町)に移築され、現存するのはありがたい。近年、大手川沿いに城壁が一部復元され、かつての宮津城を偲ぶことができるようになった。

細川父子と玉子が、新城に入ったのは天正9年3月のことだった。翌天正10年6月2日に本能寺の変がおこるが、細川・一色両氏の対応はまったく異なったといわれる。

一色氏は光秀に従い、細川氏は味方せず、同年9月に一色義定は宮津に呼び出され謀殺される。

筆者は、細川氏の丹後支配にとって、かねてから一色氏が障害となっていたため、政治混乱に乗じてだまし討ちを行なったとみている。謀殺事件が、本能寺の変後3か月も経っていることからも、不自然である。これによって、丹後一色氏は滅亡したのであるが、後に細川氏はその祟りを恐れ、城内に鎮魂のための神社(一色稲荷社)を建立した。

室町幕府の名門・一色一族の鎮魂のために造営された一色稲荷社。写真提供/宮津市観光交流課

室町幕府以来の名門、一色一族の鎮魂のために細川氏により造営された一色稲荷社。写真提供/宮津市観光交流課

ページ:

1

2 3 4

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

関連記事

  1. ああ斗南藩終焉す!突然の廃藩置県は何故起きたか?【半島をゆく 歴…
  2. 平将門ら坂東武士団が勃興した古代国家北辺の地【半島をゆく 歴史解…
  3. 紀伊半島と房総半島との意外な歴史的つながりとは?【半島をゆく 歴…
  4. 房総半島の小国の大名・里見氏はなぜ関東の覇者と渡り合えたのか【半…
  5. ああ悲劇の斗南藩、その苦難の道をゆく【半島をゆく 歴史解説編 下…
PAGE TOP