歴史作家・安部龍太郎氏による好評連載「謎解き歴史紀行~半島をゆく」。こちらでは『サライ』本誌と連動した歴史解説編を、歴史学者・藤田達生先生(三重大学教授)がお届けしています。今回は、志摩半島の一豪族から戦国大名へと飛躍した九鬼嘉隆が築いた鳥羽城跡を歩きます。

志摩鳥羽城は、海賊大名九鬼嘉隆が文禄3年(1594)に築城した近世海城である。前回訪問したのは10年も以前のことだった。その折りは、近鉄鳥羽駅から城跡まで歩いて向かったのだが、城郭遺構の残存状況があまりよくないという印象が残った。

ところが、予習をしっかりとせずに行ったため随分見落としがあったことを、他日研究仲間のパワーポイント報告で知り、猛省したことを記憶している。今回は、じっくりと城跡を踏査することができたお陰で、石垣をはじめとする城郭遺構が結構残存していることに気づいた。特に、前回とは違って公園としての整備事業が進んでいたことが印象的だった。

鳥羽城の縄張であるが、海側が大手、背後の山側の横町口が搦手であることを特筆したい。大手には桟橋のような道が海に向かって突き出ており、軍船が係留できたと思われる。まさしく、海の道を意識した海賊大名の城門といえよう。このような風変わりな大手門は、もちろん国内の近世城郭において唯一無二である。

ここで、代表的な近世海城をあげるならば、藤堂高虎が築城した伊予板島(後の宇和島)城や伊予今治城がそれに該当する。前者は城地が海に張り出した不等辺五角形で、包囲軍が一辺に気づきにくいという利点があり、後者は軍船を城内に直接係留することができるのが特徴である。

なんと、鳥羽城はこのふたつの要素を満しているのである。しかも両城より早く竣工していることから、まさしく近世海城の先駆けだったといえよう。

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↑安部龍太郎氏と一緒に鳥羽城跡三の丸付近で。背後が高石垣。段上に築かれているが、遠目からはひときわ高い石垣に見える。

■鳥羽城随一の見学ポイントは「高石垣」

私たちは、市民文化会館と市役所の間にある階段を使って、つまりかつての搦手道を辿って家老屋敷跡を横に見ながら城山公園へと登っていった。ここは、野趣に満ちた野面積み(自然石を積み上げた石垣)の高石垣が続く登城道である。

到着した「城山公園」は、整地され芝生が張られており、北側の相橋門へと至る階段が、石垣部分もあわせて整備されていた。ここからは風光明媚な鳥羽湾が一望でき、遙かに九鬼嘉隆の胴塚・首塚の残る答志島が見通せた。

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↑鳥羽城跡から望む鳥羽湾。左奥に見えるのが答志島。

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↑鳥羽城本丸跡。数年前までは鳥羽小学校の運動場だった。小学校移転のため今は自由に立ち入ることができる。

嘉隆は、慶長5年(1600)9月の関ヶ原の戦いの折には石田三成方、つまり西軍に属した。戦後、東軍大名として活躍した子息守隆が、自分の働きに免じて父親の減刑を嘆願し、家康からそれが認められた。しかしその情報が届く前に、答志島の洞泉庵にて嘉隆は切腹して果てたのである。

嘉隆は、自らが築いた鳥羽城の見える答志島を死地に選んだのだ。戦国の悲劇に思いを馳せながら。私たちは大手側の三の丸広場めざして階段を下っていった。そこで、非常におもしろい石垣に対面した。

高石垣を一気に普請する技術がなかったのだろう。城山の斜面に、段々畑状に石垣を重ねて築いているのだ(『サライ』10月号「半島をゆく」の西画伯の挿絵がわかりやすい)。鳥羽湾を航行する船から見ると、城山(標高40メートル)の下から上までの驚くほど高い石垣が築かれていると見えるようになっているのである。

ちなみに、国内でもっとも高い石垣は、藤堂高虎が元和6年(1625)から普請した大坂城の約30メートルの高石垣である。私は、この「偽装石垣」(失礼!)を鳥羽城の見学ポイントの第一としてお薦めしたい。

それから、ふたたび階段を登って本丸跡へと向かった。入り口付近には、もっとも残りのよい石垣が残存する。本丸も、真っ平らに整地されている。奥に進んでいくと砂場などが残り、かつて運動場として使用されていたことがうかがわれる。聞くと、旧鳥羽小学校のグラウンドとして使用されていたとのことである。

■本丸跡は旧鳥羽小学校運動場

いささか脱線するが、ここで明治6年(1873)創立の旧鳥羽小学校についてふれることを許されたい。本丸から一段南下の曲輪跡に、惚れ惚れするような立派な校舎が鎮座している。昭和4年(1929)に竣工した、当時の三重県下では珍しい鉄筋コンクリート造り3階建の重厚かつモダンな洋風校舎である。2010年に、登録有形文化財(建造物)に指定されたそうだが、当時の地元住民の教育への熱い意気込みを感じずにはいられない。

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↑昭和4年築の旧鳥羽小学校校舎。コンクリート3階建てで、三重県内に現存する最古のコンクリート建築物。国の登録有形文化財。内部見学は不可。

鳥羽市教育委員会のHPには、「鳥羽港を望む高台に南面して建つ。正面67m、E字形平面の鉄筋コンクリート造3階建で、表面はモルタル仕上げとする。中央3階部分を背後の斜面上に張り出し、内部を大空間の講堂とする独特の構成。中央部分など随所にアールデコ風の意匠を施す」との解説がある。小学校と言うよりも大学と言ってもよいような風格が漂っていた。ぜひ、鳥羽城跡の見学とあわせて一見されることをお薦めする。

さて、ふたたび本丸跡である。江戸時代、ここには三層天守と御殿が営まれていた。最近、市立図書館に保管されていた古文書をもとに、広島大学文学研究科の三浦正幸教授が天守の規模を割り出された。それによると、正面5間(約9メートル)、奥行き6間(約10.3メートル)、天守台からの高さは19.5メートルもあったという。一層と二層は同じ大きさで三層はやや小ぶりの天守で、絵図によると南・北・西に単層の付櫓を伴っていた。

鳥羽城を北側から描いた絵図には、当城が総漆喰の塗り込めの純白に描かれている。ところが、海側から見ると黒色に仕上げていたそうだ。理由は、魚に刺激を与えないためという(鳥羽市教育委員会)。実に心憎いではないか。400年も昔から自然環境の保護に努めていたのには驚かされる。二色にちなんで、当城を「錦の城」と呼んだといわれる。なかなか粋な城名である。

■大城郭を支えた水軍大名の財力

築城した大名の九鬼氏であるが、実は豊臣政権下ではわずか3万5千石の小大名に過ぎなかった。それが、天守をもつ大城郭を営んだのである。その外郭を含んだ総面積は32,280坪(約106,500㎡)で、橋で結ばれた立派な鉄板張りの3城門、13の櫓群で構成されていた。あまりにも石高不相応の大城郭と言ってよい。

その理由を察するに、わずか2郡14郷といえども志摩一国の国主大名(中世の守護大名に相当する)という高い格式である。それに加えて、数少ない中世以来の海賊大名として政権側からの特別扱いだったとみられる。
信長の水軍として天正2年の伊勢長島一向一揆の鎮圧や天正6年(1578)の木津川口の戦いで華々しい成果をあげ、秀吉のもと文禄・慶長の役では朝鮮へも出撃している。その折りの旗艦「日本丸」は、九鬼嘉隆が建造したものである。

なお日本丸の用材を出したのが、鳥羽市内にある賀多神社である。当社には、秀吉の命を受けて龍燈松などの神木を使って造船したとする伝承がある。秀吉は、その返礼として千本の杉を植えたといわれ、今でもその一本といわれるものが残っている。

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↑文禄・慶長の役の際に建造された「日本丸」建造の際に御神木を供出したとの伝承がある賀多神社

次いで重要なのが、志摩という海国の豊かさである。確かに田畑は乏しかったが、「(古代において朝廷に海産物を調進した志摩・若狭・淡路の3か国)」として海産物にはすこぶる恵まれていた。したがって実際の石高より、はるかに多くの租税が収納されたと推測される。その豊かな財力こそ、大城郭の築城と維持を支えたのである。

九鬼氏は、守隆の子息たちが家督争いをしたため、江戸幕府によって摂津三田藩3万6千石(本家)と丹波綾部藩2万石(分家)に分知され、志摩からは離れてしまう。いずれも内陸の地で、水軍としての実力を発揮できるような土地ではなかった。したがって、残念ながら現在の鳥羽市内で九鬼氏関係の文化財は多くはない。

鳥羽城は、海賊大名の城郭として、また海産物を大切にする「錦の城」として、現在も鳥羽湾を睥睨している。菩提寺常安寺(鳥羽市)の九鬼嘉隆像や九鬼家墓所とあわせて、今に伝わる九鬼氏のよすがとして大切に保存・活用されることを願う次第である。

文/藤田達生
昭和33年、愛媛県生まれ。三重大学教授。織豊期を中心に戦国時代から近世までを専門とする歴史学者。愛媛出版文化賞受賞。『天下統一』など著書多数。

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