歴史作家・安部龍太郎氏による好評連載「謎解き歴史紀行~半島をゆく」。こちらでは『サライ』本誌の連載と連動した歴史解説編を、安部龍太郎さんとともに半島を歩く歴史学者・藤田達生先生(三重大学教授)がお届けしています。今回は、源頼朝が暮らした蛭ケ小島、北条早雲が跋扈した韮山城、幕末に日本を近代化に導いた江川英龍の代官屋敷「重要文化財江川邸」と世界遺産となった韮山反射炉など歴史遺産の宝庫ともいえる伊豆韮山を歩きます。

■書き換えられる戦国史
久しぶりに、韮山城跡(静岡県伊豆の国市)を訪れた。言わずと知れた北条早雲(伊勢盛時・宗瑞)が伊豆支配のための拠点とした名城である。ついでながら、小田原北条氏の初代とされる早雲は、幕府政所執事伊勢氏の一族であり、北条を名乗ることはなかった。

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北条を称するようになったのは、早雲の嫡男氏綱からのことである。これは、執権北条氏を意識し利用しようとしたものと考えられている。左京大夫の官途も家紋の三つ鱗も、執権北条氏に由来するという。ただし、氏綱は居城を小田原に移したため、執権北条氏と縁のある韮山から離れてからのことになる。ここでは煩瑣なため、北条早雲で通させていただく。

早雲の出自については、戦国の梟雄らしくかつては「素浪人説」が巷間に流布していた。しかし、伊勢盛定と京都伊勢氏当主で政所執事伊勢貞国の娘との間に生まれた名門武士であり、父親の所領備中荏原荘(岡山県井原市)が誕生の地だったとする「備中説」が、近年では通説となっている。

戦国時代といえは、油売商人から身を起こした斎藤道三や素浪人から成り上がった北条早雲などが、その才覚を発揮して一代で国を盗ったという印象が強烈だった。ところが、近年ではすっかりイメージが変容している。
ついでに付言するならば、「美濃の蝮」と恐れられた道三も、僧侶から油商人を経て、次々と主家を乗っ取り名字を替えながら戦国大名にまで上り詰めた人物だとされているが、実はそうではなく親子二代で大名となったことが指摘されている。

早雲の姉(妹とも)は、駿河守護今川義忠と結婚して北川殿と称し、文明5年(1473)には嫡男龍王丸(後の今川氏親)を生んだ。早雲は、長享元年(1487)に駿河へ下り、龍王丸を補佐し、自らは守護代として伊豆国境に近い興国寺城(静岡県沼津市)を拠点としたのである。

近年、早雲の伊豆出兵については、室町幕府との連携作戦として理解されている。明応2年(1493)4月に管領細川政元がクーデター(明応の政変)を起こして、出陣中の10代将軍足利義材(よしき)を追放し、清晃(せいこう、8代将軍足利義政の異母兄である堀越公方足利政知の子息)を擁立した。

清晃は、還俗して11代将軍足利義澄(よしずみ)となる。義澄は、かつて延徳3年(1491)4月の父政知死後、堀越公方に決まっていた実弟潤童子と母円満院を殺して事実上の公方となっていた異母兄茶々丸の処分を、幕府奉公衆だった早雲に命じたとみられている。

早雲は、伊豆堀越御所の茶々丸を攻撃した。これを「伊豆討ち入り」といい、東国における戦国時代の始期と評価してきた。関東に限らず、戦国時代は明応の政変からとする見方は近年では有力である。このようにみると、戦国時代の政治も将軍や管領細川氏の動向すなわち室町幕府を中心に展開していたことが明瞭になる。早雲は、その命令に従って伊豆を手中に収めたのである。

ここで、堀越公方についてふれたい。8代将軍足利義政が対立していた古河公方・足利成氏への対抗策として、天龍寺に入寺していた異母兄の足利政知を還俗させ、長禄2年(1458)に鎌倉公方として派遣した。しかし鎌倉に入ることができず、伊豆堀越に留まることになったのが由来である。北条氏は、鎌倉公方の流れを引く古河公方を支持し、関東管領であると自らを主張した。

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堀越公方の御所であるが、初代執権北条時政の屋敷と重なるという。現地は、静岡県伊豆の国市四日町字御所ノ内にある。「伝北条政子産湯の井戸」の石碑の北向かいにあり、芝生に覆われた広場となっている。殺風景ではあるが、この付近は徒歩で鎌倉時代から戦国時代にかけての数多くの名所が散策できるので、私たちが訪れた日も多くの観光客でにぎわっていた。

四日町は、韮山城下町にあたる。早雲は、茶々丸を追った後に本拠をこの地に移すことにする。焼き払った御所の近辺で要害の地だった韮山に目を付けたのである。ついでながら、御所跡の近隣には執権北条氏の氏寺願成就院(北条時政建立)があり、まさしくかつての北条氏関係地ゾーンの中心に御所が営まれたことがわかる。

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発掘調査によって、御所の規模は東西約218メートル、南北218~327メートルもあったことがわかっており、随分広大な規模だったこと、その中に墓地まで含んでいたことが指摘されている。出土品としては、室町時代らしく茶の湯関係品が多いとのことである。

■世界遺産・韮山反射炉と重要文化財江川邸
さて、今回の旅は世界遺産となった韮山反射炉で知られる幕末の韮山代官江川担庵(英龍)の屋敷「重要文化財江川邸」を見学した後に、徒歩で城跡に向かった。実は、江川邸も北条氏時代には韮山城の一部として機能していた可能性がある。

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江川氏は、この地の土豪であり、早雲の伊豆討ち入りを受け入れてその配下になったという。贈答酒として有名な名酒「江川酒」も、醸造業に携わっていた当主江川太郎右衛門尉が早雲から賜った名であるという。確かに、韮山周辺は低湿地で水が豊かであり、邸内の立派な井戸が印象的だった。

江川邸は、元来は堀に囲まれた方形居館だったと思われ、その背後の尾根の先端に砦跡(通称江川砦)が確認されている。まさしく土豪クラスの典型的な城館である。韮山城とは城池を挟んだ位置にあるが、その尾根筋を南に向かうと、天ケ岳砦、土手和田砦、和田島砦へと至る。確かに、韮山城は単体でも十分な規模と施設をもっていたのであるが、背後の山塊にもいくつかの砦群をもち、セットで機能していたのだと認識した。

韮山城跡へは、背後にある城池の土手伝いに入城した。クランク状の堀切道を進むとテニスコートになっている「三の曲輪」があり、その西側が韮山高校である。同校の敷地には「御座敷」「天主」という地名が残っており、古図には二重堀が描かれ、その内部に居館が営まれていたことがうかがわれる。

言うまでもないが、現在の遺構は德川家康の家臣内藤信成が城主だった最終段階、すなわち慶長5年(1600)に廃城になった時期のものである。もちろん、早雲の時期にはこれよりも小規模な城郭だったと推測される。

私たちは、韮山の最高所「本曲輪」めざして登城していった。まずは熊野権現社が鎮座する「権現曲輪」である。さらに進むともっとも広い「二の曲輪」がある。その上に進むと、本丸に相当する「本曲輪」に至る。

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ここはそれほどの規模ではないが、快晴のもと光り輝く富士山を正面に四方の眺望が抜群で、「まさに絶景かな」である。感動をそのまま尾根伝いに降りてゆくと、「南曲輪」に到達する。それにしても、各曲輪ともに土塁と堀のメリハリが立派で印象に強く残った。

なお、近年では天正18年(1580)の豊臣秀吉による北条氏攻めに際して韮山城攻撃のために普請された付城群についても注目されている。それらは、韮山城の背後にそびえる天ヶ岳の東側に向かい合う尾根の先端部に築かれた砦群であった。

これらはいずれも通称であるが、北側より太閤陣場付城跡・本立寺付城跡・追越山付城跡・上山田付城跡・昌渓院付城跡と呼ばれている。秀吉の軍隊は、ここに攻城城用の付城群を普請して、土塁や柵をめぐらせて城内勢力の降伏を辛抱強く待ったのである。

これまで何度も指摘してきたが、北条郷から蛭ケ小島を経て韮山へと至るゾーンは、鎌倉時代から戦国時代にかけての関東の政治を動かしてきた重要地である。伊豆半島の付け根、駿河湾の最奥部に近く、物流の大動脈と言うべき狩野川によって舟運利用が容易であること、かつ下田街道を利用すれば三島に至り東海道にもアクセスが簡単である。

おそらく、この地が繁栄したのは、駿河湾を介した東海の物流と、背後の関東の流通との結節点に当たったからではないか。前回にお邪魔した広島県福山市の沼隈半島先端に位置する鞆の浦も、瀬戸内海の中央部に位置して潮待ちの良港だった。

15代将軍足利義昭の亡命政権「鞆幕府」が営まれたのも、西国流通の結節点に位置したからであった。足利政知の堀越御所や北条早雲の韮山城があったこの地も、関東という肥沃な奥座敷を控えた「海の道」の要素を十分に考慮せねばならないだろう。

帰りに乗船した土肥港(静岡県伊豆市)から清水港へ向かう駿河湾フェリーのなかで、稲垣忠明さんから丁寧な解説をお聞きしたが、この航路が2013年4月12日に静岡県の県道223(ふじさん)号に認定されたことを知った。

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「なるほど、今後訪れるであろう半島の港町については、かつて「海の道」の宿駅だったことに注目してゆかねば」と改めて心に誓った。

文/藤田達生
昭和33年、愛媛県生まれ。三重大学教授。織豊期を中心に戦国時代から近世までを専門とする歴史学者。愛媛出版文化賞受賞。『天下統一』など著書多数。

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