伊予に落ち延びた名門・一色氏の一族

混乱の中で、一色氏の一族が筆者の故郷愛媛県に落ち延びたらしいので紹介しよう。

伊予一色氏の系譜については、伊予西条藩の藩儒日野和煦(1785~1858年、藩校択善堂教授)が編纂し天保13年(1842)に成立した地誌『西条誌』の「周布郡周敷村大庄屋一色太郎九郎」の項に、次のような記載がある。

「先祖宮内少輔公深と云もの、三河国吉良庄一色村より出、子孫其村名を取て氏とし移ツて丹後国宮津の城に居、右馬三郎重之と云もの、天正年中、宮津の城を落て当国に来り、高外木城の石川氏に客たり、後に周敷郡周敷村三谷の城主荒井藤四郎を討ちて、其地を領すと云」

『西条誌』は、一色重之が丹後一色氏の一族にあたり、天正年中に丹後宮津城(京都府宮津市)から伊予高峠城(愛媛県西条市)に落ち延びたと伝える。高外木城とは、伊予新居郡の守護所高峠城の別名で、当時在城したのが分郡守護代主石川通清であり、重之がその食客となったとする。

『西条誌』の記載によれば、一色重之が宮津城から脱出して高峠城に至り、石川氏の庇護を受けたと理解される。これを証明する一次史料は伝存しないが、光秀の縁者が、山崎の戦い敗戦後に土佐の長宗我部氏やその同盟者である伊予新居郡金子氏のもとに亡命したことが知られている。

したがって、一色重之がこの時期に長宗我部氏とも入魂で金子氏の主家筋だった石川氏のもとに身を寄せたとしても、さほどの違和感はなく興味深い。確かに、愛媛には現在も一色姓の方は多い。

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