文・写真/市川美奈子(海外書き人クラブ/台湾在住ライター)

台湾本島の西北部にある「馬祖(マーズー/ばそ)列島」。中華民国福建省連江県に属し、「南竿(ナンガン)島」「北竿(ベイガン)島」「東莒(ドンジュー)島」「西莒(シージュー)島」「東引(ドンイン)島」の主要な5つの島と、その周辺の複数の島から成る列島だ。

南竿島にて。後方右奥に見えるのは台湾で広く信仰されている「媽祖(まそ)」の像。 

馬祖列島(以下「馬祖」)は、かつては漁民たちが暮らす素朴な漁村であった。ところが1949年に中華人民共和国が成立し、中国国民党が中央政府を中国本土から台湾へ移すと、馬祖は台湾にとって枢要な軍事拠点になっていく。

現在の人口は馬祖全体で1万3000人ほどだが、かつては馬祖内に約5万人の兵士が駐屯していたと言われている。

「枕戈待旦(ちんかたいたん)」。1958年に蒋介石が書いた字を再現・拡大したもの。「戦いの準備をいつも怠らない」という意味。

台湾では1949年から、38年もの長きにわたって戒厳令が敷かれていた。「世界最長」となったこの戒厳令は1987年に解除されたが、中国大陸の至近距離に位置する馬祖と金門においては、戒厳令解除後も戦地政務が敷かれていた。戦地政務とは「軍政一体型の統治体制」であり、夜間外出禁止令、出入国制限、通信制限、金融規制など、住民の生活全般にわたる厳しい規制が実施されていた。また戦地政務期間中、一般人が馬祖や金門に上陸することは禁止されていた。

戦地政務が解除されたのは1992年。この2年後の1994年、馬祖は観光地として開放されるようになる。

ただし島内には現在も現役の軍事拠点が点在しており、約2000人の兵が駐屯している。馬祖は「軍事拠点でありながら観光地」という、特殊な立ち位置のもとで発展していった。

「同島一命」。軍と島民が一丸となって島を守るという意味のスローガンだ。

このような特殊な歴史のある馬祖は、美しいエメラルドグリーンの海に囲まれた島でもある。中でも殊更美しい風景を誇るのは、北竿にある「芹壁村(チンビーツン)」だ。別名、「台湾のギリシャ」。青い海に面した丘の上に石造りの家屋が連なる様子は、ギリシャのサントリーニ島を彷彿させる。

「台湾のギリシャ」こと芹壁村。
石造りの家屋が美しい。

しかし村内の建物には「最後の勝利を勝ち取ろう」などのスローガンが刻まれており、防空壕も点在している。美しい風景の中に、馬祖が背負わされてきた戦地としての歴史を垣間見ることができる。

スローガンは主に1950年代~1970年代に刻まれたと言われている。

芹壁村の入り口から徒歩5分ほど。芹壁村の中心地に、1軒のカフェレストランがある。店の名前は「芹沃咖啡(チンウォーカーフェイ)」。

ここは、知り合いから「イタリアンがおいしいから是非行ってみて」と勧められた店だ。「馬祖でイタリアン?」と、半信半疑で食べに行くことにした。

注文したピザとシフォンケーキを口に入れて、衝撃を受けた。お世辞抜きにおいしい。ピザは絶妙な焼き加減だし、シフォンケーキはしっとりしているのに軽やかな口当たりだ。

あまりのおいしさに感動し、筆者と友人が日本語で追加注文の相談をしていたところ、流暢な日本語で「どちらからいらしたの?」と話しかけられた。この店のオーナー、曾美子(ツォン・メイズ)さんだ。20代の頃、製菓技術を習得するために日本に留学していた経験を持つ。

芹沃咖啡のオーナー、曾美子さん。台湾製菓界のレジェンドだ。

曾さんは、お菓子・パンに特化した台湾初のクッキングスクール「巧思廚藝(チャオスーチューイー)」を立ち上げた人だ。「巧思廚藝」の生徒数は現在数千人。もともとは台北を拠点としていたが、馬祖の風景の美しさに魅了され、2017年6月、馬祖でカフェを開くことに。

店を開業し軌道に乗せるには、ある程度の人手と時間がかかる。曾さんはクッキングスクールの生徒たちに、馬祖でカフェ運営を手伝ってくれる人はいないか? と声を掛けた。クッキングスクールの生徒だった宋家妤(ソン・ジアユー)さんは、師の求めに応じて馬祖に渡る。1年という長期間にわたって「芹沃咖啡」を支える傍ら、馬祖の美しい風景の写真を、夫の黄南浚(ホワン・ナンジュン)さんに送っていた。

徐々に馬祖の風景に惹かれていった黄さん夫妻は、曾さんと同様、馬祖へ移住することにした。こうして4年前に夫婦で始めたのが民宿「島嶼花草(ダオユーホワツァオ)」だ。

大の日本好きだという黄さん夫妻が手掛けた「島嶼花草」は、街の中心部から少し離れたエリアにある、4部屋のみの小さな宿だ。派手さはないが、夫妻のセンスの良さと温かい人柄がにじみ出ており、すがすがしい空気に包まれている。館内の清潔感も申し分なく、夫妻が心を込めて管理していることが伝わってくる。いつまでも滞在していたいと思えるような素敵な宿だ。

民宿「島嶼花草」。温かみのあるロビー。
室内。シンプルで清潔感がある。

黄さん夫妻はこう語る。

「移住前は、馬祖ってどんなところなんだろう……って不安もありましたが、来てみたらとても住みやすかった。台北は生活リズムが早すぎて、疲れてしまうこともありました。でも馬祖は自然がゆたかで、時間の流れが穏やか。私たちは植物が好きなのですが、ここでは庭で植物を育てることもできて、心が落ち着きます。

街がコンパクトで、必要なものはたいてい近くで揃う。近所の人たちともみな知り合いなんです。

人生の折り返し地点を過ぎ、これからどう生きようかと考えていた私たちにとって、ここでの暮らしは最適解でした。」

黄さん夫妻の愛猫たち。民宿のロビーや庭で、のびのびと暮らしている。

そんな馬祖に魅了され、台北などの都市部から馬祖に移り住んでくるアーティストもいる。アーティスト同士のつながりもあり、馬祖在住のアーティストたちが創作したお土産が、島内の至るところで販売されている。黄さんの民宿でも、お土産の一部を販売しているそうだ。

馬祖土産。馬祖の美しい風景と軍事的なモチーフがセットになっているチョコレート。

かつては「枢要な軍事拠点」として一般人の上陸が禁じられていた馬祖。いまでは新進気鋭の芸術家から選ばれる移住先に変貌を遂げた。政府も馬祖を「芸術の島」と位置づけ、国際的な認知度向上を図っている。その一環として、2025年9月5日から11月16日まで、馬祖の各地で「馬祖国際芸術島(馬祖ビエンナーレ)」が開催される。これは10年計画で行われている台湾初の総合アートプロジェクトで、2022年に初開催され、今年で3回目を迎える。

過去の開催時には日本からもアーティストが参加しており、今回も、日本を含む海外からの参加が見込まれている。

平和のありがたみを噛みしめながら、この機会に、歴史と芸術の島・馬祖を巡ってみては。

<交通アクセス/周辺環境>
馬祖の主要2島である南竿・北竿には、いずれも台北から飛行機で約50分。南竿には台北から1日8本、北竿には1日3本のフライトが出ている。南竿から北竿までは船で15分。
馬祖の行政中心地である南竿には、数多くの民宿がある。南竿に滞在すれば、馬祖の他の島を訪れる際にも便利だ。

芹沃咖啡(チンウォーカーフェイ)
住所:連江縣北竿郷芹壁村53-1號
https://www.facebook.com/QinWoBakery/

島嶼花草(ダオユーホワツァオ)
住所:連江縣南竿郷馬祖村22號
https://site.traiwan.com/IslandFlowerInn/index.html

馬祖国際芸術島(馬祖ビエンナーレ)
https://matsubiennial.tw/

文・写真/市川美奈子 (台湾在住ライター)
民間企業、外務省外郭団体などの勤務を経て、2023年4月から行政機関の職員として台湾に駐在。早稲田大学第一文学部卒。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」(https://www.kaigaikakibito.com/)の会員。台湾各地を旅して、その地で暮らしている人たちからの話を聞くのが楽しみ。

 

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