新着記事

毎週月曜日更新!「ニャンコ先生の開運星占い」(9/23~9/29)

生活は口のなかに表れる|『口がきれいだと、健康で長生きできる』

唾液が少ない人は要注意!口がきれいでない人は、長生きできない

招福 健康パートナー|健康と幸福を願って握る福の神のツボ押し

起業

定年後の起業が増加傾向!?|シニア層の4人に1人が「起業に関心あり」

【最後の恋】「うちでお昼はいかが?」高級マンションでひとり暮らしをする4歳年下の未亡人の誘惑~その2~

【最後の恋】偶然入った昼間のカラオケスナック。「いい声ね」と言われ、人生初のモテ期が始まり……~その1~

認知症になるのを予防して“もの忘れ”程度に留める方法とは

認知症になるのを予防して“もの忘れ”程度に留める方法とは?

秋の長雨シーズン到来。あなたの知らない、部屋干しの新事実

秋の長雨シーズン到来。あなたの知らない「部屋干し」の新事実

オーギュスト・ルノワール《ピアノを弾く少女たち》1892年頃 Photo (c) RMN-Grand Palais(musée de l' Oangerie) / Franck Raux / distributed by AMF

ヨーロッパ屈指の絵画作品が21年振りに日本で公開【オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち】

江戸切子 蓋ちょこ|伝統と現代の趣向を合わせたモダンな切子グラス

LINE公式アカウントでも記事を配信中

友だち追加

お気軽に友達追加してください

サライ本誌最新号(クリックで試し読み)

サライ7月号付録「筋トレチューブ」トレーニング動画公開中!

通販別冊『大人の逸品』最新号はこちら

ピックアップ記事

  1. 東寺
  2. 世界遺産の構成資産内にある旧五輪教会。傘を開いたようなコウモリ天井の下、イエスを抱いた聖ヨセフ(イエスの養父)が佇む。手前の聖体拝領台(柵)の意匠は大浦天主堂(長崎市・世界遺産)と共通。鳥の声と波の音が堂内にこだまする。

>>過去の記事へ

サライの通販

>>過去の記事へ

旅行

なぜ丹後半島には巨大古墳が多いのか?失われた古代「丹後王国」の謎を追う【謎解き歴史紀行「半島をゆく」歴史解説編】

網野銚子山古墳

網野銚子山古墳。「日本海三大古墳」の中で最大規模を誇る前方後円墳。 全長198m。被葬者は丹後王国の支配者と考えられている。

歴史作家・安部龍太郎氏による『サライ』本誌の好評連載「謎解き歴史紀行~半島をゆく」。「サライ.jp」では本誌と連動した歴史解説編を、歴史学者・藤田達生先生(三重大学教授)がお届けしています。今回は、「丹後古代王国」の隆盛ぶりを今に伝える半島内の巨大古墳の謎に迫ります。

古代の丹後は強国だった。日本で一番古い―弥生中期後半(2世紀後半)―水晶玉作り工房跡(京丹後市の奈具岡遺跡)が発見されたり、これまた日本で一番古い―5世紀後半~6世紀後半―製鉄所遺跡(京丹後市の遠所遺跡)が確認されている。

さらに、日本で一番古い年号を記した銅鏡「方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう) 」(3世紀前半)が、大田南5号墳(京丹後市)から出土していることも有名だ。『魏志倭人伝』に記された中国の魏国王が邪馬台国の卑弥呼に贈った100枚の鏡のうちの1枚の可能性もあると、発掘当時は話題になった。

弥生時代以来、丹後半島にはガラス細工や製鉄など、きわめて高度な技術をもつ集団がおり、ヤマト王権(古墳時代の近畿地方を中心とする連合王権)に対しても容易に屈服しなかったといわれる。これが、古代「丹後王国」論である。

丹後半島の竹野(たかの)川流域には、網野銚子山古墳(国史跡、全長207m、京丹後市)・神明山古墳(国史跡、全長190m、京丹後市)・蛭子山(えびすやま)古墳(国史跡、全長14⒌m、与謝野町)などの大型の前方後円墳が集中している。

蛭子山古墳群 (1)

蛭子山古墳群。周辺は与謝野町立古墳公園として整備されている。

ちなみに、これらは日本海側ではナンバー1・2・3の墳丘規模である。高度な技術を持つ渡来人によって、この地方には古代に独立した勢力が存在していたと考えられるようになってきた。かつて、故門脇禎二氏(京都府立大学名誉教授)が提唱した古代丹波王国論である。

門脇氏は、古墳時代に丹後地方を中心に栄え、ヤマト王権や吉備などと並ぶ独立性があったと考えられる勢力を「丹後王国」と呼んだ。竹野川流域を中心とする丹後王国は、4世紀中頃ないし4世紀末頃から5世紀にかけてが最盛期で、6世紀中頃にヤマト王権による出雲攻撃に伴いヤマト王権の支配下に入っていったとされる。

筆者は、学生時代に門脇氏の集中講義を拝聴し、通説の枠組みにとらわれないダイナミックな古代史議論にワクワクした記憶がある。ただし、この時期に丹後は存在せず、和銅6年(713)に丹波から分立したことから、「丹波(タニワ)王国」というのが正確かもしれない。

ページ:

1

2 3

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

関連記事

  1. 中浦ジュリアン フロイスとジュリアン、長崎県西海市内で見たふたつの像【半島をゆく…
  2. (スケッチと実写の八の子島) 船上から見た八の子島。山頂の十字架が往時の雰囲気を醸し出す。 佐世保湾に浮かぶ十字架を頂いた神秘の小島をスケッチ【半島をゆく …
  3. 本丸跡にたつ天草四郎像。 天草・島原のキリシタン一揆はなぜ原古城に籠もったのか?【半島をゆ…
  4. 横瀬浦公園(長崎県西海市)にあるルイス・フロイス像。 なぜイエズス会は長崎で多くの信者を獲得できたのか?【半島をゆく …
  5. イエズス会の巡察使として来日したヴァリニャーノ(南島原市口之津公園にある銅像) 「バテレン追放」|日本の植民地化危機を救った秀吉の決断【半島をゆ…
PAGE TOP