歴史作家・安部龍太郎氏による『サライ』本誌の好評連載「謎解き歴史紀行~半島をゆく」。「サライ.jp」では本誌と連動した歴史解説編を、歴史学者・藤田達生先生(三重大学教授)がお届けしています。津軽半島編の第1回は、中世の津軽で大きな勢力を誇った浪岡北畠氏と十三湊・安東氏の歴史に迫ります。

読者諸賢は、伊勢の国司大名北畠氏一門の大名が、奥羽でも活躍していたことをご存じであろうか。これが、「浪岡御所」として知られた浪岡北畠氏である。南北朝時代、陸奥に下向し強勢を誇った鎮守府将軍北畠顕家(親房の子息)の流れを汲み、織田信長の時代まで北の大地に深く根を下ろしていた。

以前、北畠氏に関する共同研究を主催した筆者にとって(藤田編『伊勢国司北畠氏の研究』吉川弘文館)、浪岡北畠氏の居城浪岡城(青森市)はぜひ訪れてみたい城郭だった。今回、ようやく長年の念願がかなって青森空港に降り立った。

お待ちいただいていたのは、木村浩一さん(青森市浪岡事務所総務課)と、いつもお世話になっている編集担当のI氏(なんと地元出身)だった。木村さんの運転で、さっそく浪岡城跡近くの青森市中世の館(浪岡城跡に関する資料館)にうかがった。
1 2浪岡城跡からの出土品は「青森市中世の館」に展示。約1万1000枚出土した銭貨と各地の陶器類。浪岡北畠氏の交易範囲の広さがわかる。
中世の館には、浪岡城に関する歴史資料が大量に展示されていた。文献史料と発掘資料の分析にもとづく浪岡城の復原図やジオラマなどで、当時の城郭とその周辺の政治・社会・生活環境がわかりやすく解説されている。

木村さんの熱心かつ要領を得た解説によって、中世後期の津軽平野から外ヶ浜に至る要衝浪岡の豊かな生活が印象に残った。特に感銘深かったのは、地理観についてである。私たちは、無意識のうちに前近代では京の都や江戸を中心に据えて、そこからの距離の遠近によって歴史像を描いていなかっただろうか。いつのまにか狭い国内において中心と辺境という見方が、すり込まれていたのである。

浪岡城跡からの出土品は約4万点といわれ、展示品からは中世の豊かな生活がうかがえる。たとえば、中国製青磁・白磁・染付や日本製の瀬戸・美濃・唐津などの椀や皿、越前や珠洲などの陶磁器も大量に使用されていたことがわかっている。また化粧・茶の湯・香に関係する品々や、鎧・太刀・鉄炮などの武具の出土も城郭らしい特徴である。それにしても、点数の多さ以上に九州産まで含む地域色と東アジアに及ぶ国際色には驚いた。
北京からの距離は京都も浪岡も変わらな

 

3 広大な面積を誇る浪岡城跡。発掘調査は全体の30%しか終わっていない。

 

考えてみれば、浪岡城から京都までの直線距離約800㎞は、同心円上に樺太や沿海州諸地域が含まれる。出土品に中国産の物が多数含まれるというから、同心円を北京までの2000㎞に延ばせば、琉球も上海も、さらにはカムチャッカまで交易圏内になる。環シナ海へと続く日本海という巨大な湖を控えた要衝として、浪岡の地を位置づけるべきなのである。また、アジアの中枢都市北京からの直線距離となると、京都も浪岡もさほど変わらない。

城郭の特徴としては、武士のみならず職人や商人が城内に居住していたこともわかっている。要するに、城塞都市というべき特徴をもっているのである。先年、九戸城(岩手県二戸市)をはじめとする南部氏の城郭を調査する機会があった。大規模な曲輪が連続するのであるが、領民の居住が前提となっていたことが確認された。これが、奥羽の城郭の特徴と言うことができるであろう。

また、1万1000枚もの銭貨が出土したことは興味深い事実である。古いものは開元通宝で、新しいものは永楽通宝というから、7世紀から15世紀の間に鋳造された中国の銭貨である。これらは流通していたものも含まれるが、備蓄銭や宗教用に埋めた埋納銭も少なくなかった。

北方の流通拠点浪岡を居城とした浪岡北畠氏であるが、伊勢北畠氏とも関係を長らく保っていたものと推測される。戦国時代には、浪岡でも具永―具続―具運と伊勢国司家と同様に「具」を通字とし、四位あるいは五位で侍従に任官する歴代が確認されている。遠隔地ながらも一族間になんらかの交渉があったことがうかがわれる。

浪岡北畠氏が天正6年(1578)7月に大浦(津軽)為信に滅ぼされた後は、信長が北畠氏の権威を利用しつつ、浪岡北畠氏の娘婿安東(藤)氏を使って津軽統一戦に介入してゆく。これについては、信長の伊勢北畠氏に対する処遇とも類似するので、いささかふれてみたい。

信長が激戦の末、北畠具教に次男信雄を養子として入れたのは永禄12年(1569)のことだった。しばらくは平穏だった両者の関係も、元亀3年(1573)に具教が密かに武田信玄と結んで将軍足利義昭陣営に属して以来、険悪なものとなった。

天正4年に信長が北畠氏一族を虐殺したのは、長嶋一向一揆を殲滅して伊勢方面の政治的安定を実現したことや信雄が北畠氏の家督を継承したことを前提としながらも、敵対する義昭の指令を受けて反信長派大名と連携するのを阻止するためだった。

この頃、信長は環日本海諸地域の大名・領主との関係を強化しつつあった。とかく信長は、京都から西国へと一貫して西をめざして勢力を拡大したかのようにみられがちだが、正確ではない。

 

信長に有力大名として認知された安東愛季

読者諸賢におかれては、連載第1回の知多半島で、信長の中核的な領国が尾張・美濃・伊勢という環伊勢湾三か国だったことに着目したことを覚えておられるだろうか。信長は、永禄12年9月に伊勢国司北畠氏を降して次男信雄をその養子として伊勢を統一する。これをもって環伊勢湾政権が成立したのである。信長は、ただちに西国をめざしたのではなく、近江から越前そして若狭へと触手を伸ばした。

信長が急成長しえたのは、東海道・東山道などの東西を結ぶ街道と、環日本海流通と環太平洋流通とを結ぶ南北に走る街道の接点に居城を置いたからである。岐阜から安土への移転も、領地に越前・若狭が編入されたことをうけてのものとみるべきだ。東西・南北の流通の交点に、本拠を構えたのである。

後のことではあるが、信長は天正9年段階で柴田勝家を窓口にしたローマを中心とするキリシタン国との外交関係の樹立を画策した可能性がある。イエズス会巡察使ヴァリニャーノの指示を受けて宣教師フロイスが越前に向かったが、勝家は金銭援助と引き替えにナウ船(大型帆船。通常500~800トンで艦載砲を備え約300人が乗船)の航行を求めたり、ローマ教皇に書状を送ろうとした。

これらは、越前への南蛮船来航という実績を前提にするものである。当時の信長領国で、三国湊や敦賀といった安土から最も近い越前の港湾都市が勝家に任されていたことに着目するべきである。とりわけ勝家の居城北庄城(福井市)に接した足羽(あすわ)川の河口が三国湊であったことが重要だ。

当所は、北庄の外港であるばかりでなく、織田領国の玄関口に当たる国際貿易港として位置づけられる。現在の日本地図を逆さまにして見ていただきたい。前近代においては、環日本海地域すなわち裏日本こそ大陸に近い表日本だったのだ。

 

4

カムチャッカなどの北方を加えると、十三湊は交易の中心に位置する(市浦歴史民俗資料館蔵)

信長は、環日本海地域の要港の支配を重視し、この地域の大名・領主の麾下への編入にも熱心だった。越中では神保氏、越後では新発田氏であり、奥羽に注目すると十三湊(とさみなと)(青森県五所川原市)を支配していた津軽安東氏が重要である。信長は、安東愛季を「阿喜多(あきた)屋形」(『信長公記』)として目をかけて、嫡男で秋田城介に任官していた信忠の指揮下に置こうとした。

 

5十三湊遺跡のある五所川原市市浦地区には市浦歴史民俗資料館もある。写真はその展示室で、上の写真が安東愛季、下の木像は愛季の嫡男・実季。

信長の強い要求を飲んで、朝廷では「安倍愛季(安倍は本姓)」を天正5年7月に叙爵させた。朝廷は古くは坂上田村麻呂や源頼義に背いてきた蝦夷系安倍氏(安倍貞任(あべのさだとう))の末裔として安東氏を位置づけたが、信長の介在で「勅勘(天皇による勘当処分)」を解くことにしたのである。当時の愛季は、蝦夷地を支配する蠣崎(かきざき)氏(後の松前(まつまえ)氏)も従えていた。

このような時期に精力的に領地拡大をおこなったのが大浦為信だった。天正6年7月、あらかじめ無類の徒輩を潜入させて放火し、その勢いに任せて浪岡城を落城させ浪岡御所北畠顕村を自害させたといわれる。信長は、安東愛季の娘婿顕村死去に対応して、愛季をただちに北畠氏の後継者として処するようにした。

時あたかも、信雄を伊勢北畠氏の当主とし、その一族神戸(かんべ)氏の当主として三男信孝をすえていた。信長は、名門伊勢北畠氏を利用したが、同様に北方政策における津軽北畠氏の名跡も利用したのである。

文/藤田達生
昭和33年、愛媛県生まれ。三重大学教授。織豊期を中心に戦国時代から近世までを専門とする歴史学者。愛媛出版文化賞受賞。『天下統一』など著書多数。

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