産後1年にも満たず離婚。母親は地元よりも私との生活を選んでくれた
しかし、結婚生活は妊娠中で不安定なメンタル面も影響して、穏やかには進まなかったそう。女々しい夫の態度に、チラついたのは離婚という二文字でした。
「最初に離婚と言い出したのは夫から。ケンカの度に、『じゃあ離婚しようか』と提案してくるんです。決して自分の意思ではなく、私が離婚したそうだからと。その女々しくて責任感のない態度にはガッカリでした。付き合った期間は2年ほどでしたが、一緒には住んでいなかったから、週に1〜2回会うだけでは夫の本質はまったく見えていなかったんですよね。
でも、最初の頃は子供ができたことだし、あんなに母親が喜んでくれたしと、離婚を切り出される度に私から歩み寄って仲直りに努めていました」
理佐さんの家庭は子供が生まれてからも修復はせず。子育てに非協力的な態度に、それでも一緒にいるべきか自問自答の日々だったと言います。そして……、
「離婚を決めたのは、子供が1歳に満たない時でした。夫の姿を見るだけでイライラして、慣れない子育ても相まって、精神的にもうボロボロだったんです。眠れない時に考えていたのは、父親の存在の意義というか、そこまで必要な存在なのかなって。自分はもちろん結果論ですが、母親一人でも、本当に大切に育ててもらったと思っています。私が母親みたいになれれば、子供と一緒に頑張っていけるんじゃないかって思っていたんです」
そして現在子供は8歳になり、母親の協力の下、子育てを続けているそう。最後に、理佐さんからでた言葉は母親への感謝でした。
「母親は私の離婚後、私のサポートのため、栃木からこちらに住まいを移してくれました。栃木で仕事を持っていたのに。今でこそ子供はある程度のことは一人でできるようになりましたが、昔はお風呂で頭を洗う時間さえなかった。母親は物理的な部分はもちろん、精神的な部分も支えてくれました。父親の存在については人それぞれだと思いますが、私たち家族にはそこまで必要なものではなかった。今も、もちろん昔から、母親には感謝しかないです」と笑顔で語ります。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。