文・写真/原田慶子(海外書き人クラブ/ペルー在住ライター)
ペルー・ナスカ平原に描かれた巨大な地上のアート、「ナスカの地上絵」。今もなお多くの謎に包まれたこの地上絵は、かつてこの地に高度な古代文明が栄えていた証しでもある。ナスカの民の類まれなる創造性と豊かな表現力を象徴する傑作として、1994年にユネスコの世界文化遺産に登録された。
紀元前200年~紀元650年頃にかけ栄えたナスカ文化の英知を今に語り継ぐ証左は、なにも地上絵だけではない。ナスカの前身とされるパラカス期から受け継がれた色鮮やかな織物や土器もまた、5000年におよぶアンデス文明で傑出した芸術性を誇っている。
地下水脈のありかを知っていたナスカの人々
ナスカはとても乾燥した土地だ。天からの恵みは微々たるもので、一帯の年間降雨量はわずか4mm程度。「川」と名のつく地形はあるがその多くは涸れ川で、アンデスが雨期を迎える季節にほんの一時期蘇るだけ。このような環境で、古代ナスカ人はどうやって命を繋いでいたのだろうか。
ナスカの町をGoogleマップで眺めてみると、アンデスの裾野が迫る扇状地の要にあたる谷あいに、わずかな隙間を得て潜りこむように広がっているのがわかるだろう。町を流れるナスカ川とアハ川は年間を通じほとんど涸れた状態にもかかわらず、周囲に耕作地を従え、ナスカ川の下流にはナスカ最大の司祭センターだった「カワチ遺跡」が鎮座する。これは、一見不毛に見える大地の下に豊かな水脈が存在する有力な証拠でもある。
2000年前とは思えない高度な土木技術
ナスカの人々はこの地下水脈の位置を把握し、それを活用する高度な土木技術を有していた。その代表が「カンターヨの送水路」だ。町の中心からナスカ川を東へ3kmほどさかのぼったところに、丸い井戸のようなものがいくつも並んでいる。これが2000年も前に建設された古代ナスカのアクエドゥクト(送水路)である。井戸状の構造物は、地下水の円滑な送水にあたり空気穴の役割を果たしている。
さっそく送水路の構造を見てみよう。螺旋状に作られた空気穴ののり面には、切土が崩落しないよう小石が丁寧に積み上げられている。石の大きさは様々だが、それぞれの角を丸く磨くなど丁寧な作りが印象的だ。渦巻き状の構造は、直射日光による水の蒸発を最小限に抑え、メンテナンスや水くみ作業を容易にするためと考えられている。地上絵のデザインを手がけた人々が遺したナスカの水路、その無駄のない美しさには感服してしまう。
地下送水路の天井部分は、暗渠の構造を支えるため硬く腐食に強いワランゴの木で補強されている。また滲出による地下水の損失を防ぐ目的から、水路床には粘土質の土が敷かれているという。増水時の負荷を緩和させるため、開水路区間では水路全体が緩やかに蛇行するよう造られていることも見逃せない。アンデスが数年に一度の豪雨に見舞われた際、下流にあるナスカにも被害が及んだであろうことは想像に難くない。大自然との対峙による経験の蓄積に裏付けられたいにしえの土木技術を活かし、飲料・灌漑用水の安定供給に努めたナスカの民。類まれなるこれらの知識があったからこそ、砂漠という過酷な環境の中で数百年の長きにわたり命を紡ぐことができたのだろう。
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