取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺ったのは、都心よりの埼玉にある家で母親と8歳になる娘と暮らしながら、事務所に在籍してフリーランスとして結婚式場などでヘアメイクを行う仕事をしている理佐さん(仮名・40歳)。栃木県出身で、両親との3人家族。両親は理佐さんが中学生の時に離婚するも、家族関係はむしろ離婚後のほうが良好に。しかし、父親が離婚のきっかけになった女性と再婚したことで、母親を守るため、父親との決別を選択します。
「離婚後も父親は月に数回は普通に家にいて、一緒に食卓を囲むこともありました。それに、離婚後のほうが両親は友人みたいに会話をするようになった。お互いがさっぱりした様子でした。
そんな元家族のバランスが崩れたのは父親の再婚。母親はいなくなった父親の分まで完璧な親になろうと、必死だったんじゃないかな。当時の親と同世代になった今だからこそ分かったことなんですが……」
「お母さんはここでしたいことがいっぱいある」。東京に出ることを全力で背中を押してくれた
理佐さんは転職をきっかけに都内へ。転職の話をもらった時、母親を残していくのは躊躇したそうですが、母親は背中を押してくれたそう。
「当時は美容院に勤めていて、出張サービスとして結婚式場へメイクやヘアをしに行っていました。そこでブライダル関係を経営している方と知り合って、都内で働いてみないかと声をかけられたんです。ずっと同じ会社にいるつもりはなかったけど、地元を離れる気も毛頭なくて。その時は20代後半だったんですが、経済的には自立していても、精神的には自立をしていなかったですよね。母親のためとかいって、私自身が母親と一緒にいたかったんだと思います。
母親に話したのは、寂しいと引き止めてほしかったから。でも、母親は『一人で頑張って来い』って背中を全力で押されました。『お母さんはこっちでしたいことがいっぱいあるから』と、少し晴れ晴れした表情で(苦笑)。そこで無理やりにでも親離れしなくてはと思いましたね」
東京で生活を始めたものの、母親とは週に1度のペースで電話する“親友のような関係”に。その後、理沙さんは31歳の時に付き合っていた男性との間に子供を授かり、結婚することになります。
「結婚はまったく予定していなかったし、結婚願望も年々なくなってきている時の妊娠でした。その時はできちゃった婚は広がりつつある状況で、世間的にも後ろめたさはなくなっていたんですが、私自身、母親に報告する時に後ろめたさがすごくあって。彼は一緒に報告に会いに行ってくれると言ってくれたんですが、先に私は一人で会いに行って伝えました。それは否定でも母親の素直な意見が聞きたかったから。でも、拍子抜けぐらい母親は喜んでくれて。『なぜ彼の同行を断ったのか!』と怒られたぐらいでしたね(苦笑)」
【出産後、1年も経たずに離婚。次ページに続きます】