保証人を断られた時、両親への執着を手放すことができた
離れて暮らしてからも親への期待をなかなか拭えなかった仁美さん。しかし今はまったく連絡を取っていないと言います。断ち切れたきっかけは何かあったのでしょうか。
「30歳手前の時に、引っ越しをしたんです。そこで最初の大学最後の時に家を借りる時は父親が連帯保証人になってくれたんですが、2回目の引っ越しの時には拒否されました。私には両親の態度は『なんで私たちが?』みたいな感じに見えましたね……。その時に、もう無理だなって。もうこの人たちに二度と傷つけられたくないと、家族の存在を忘れてしまおうと思いました」
それから6年経ち、現在は仁美さんから連絡を取ることは一切なくなったと言います。当時と比べて気持ちは落ち着いてきたそう。
「家族の存在は絶対必要なものじゃないと認められたことで気持ちは楽になりました。そして、他人を信頼することを覚えましたね。こんな感じで育って家族との距離もわからないのに、他人と親しくなれるわけがないという思いが私の中でずっとあって、他人と仲良くなるのを躊躇していたんです。でも、そんなことはなかった。保証人になってくれたのは会社の上司でした。それに今は仕事が本当に楽しくて、同僚にも恵まれています。高校や大学の時には親とうまくいっていないことを軽く伝えただけでも、引いちゃう子もたくさんいました。でも、大人になってから出会った人たちは離れていかなかった。その人たちと出会えたので、私はもう大丈夫です」
最後に、これから家族に会うことはないのかという質問をぶつけてみました。
「何かのきっかけで会うことはあると思います。あれでもまだ親ですから。でも、ただ会うだけです。もう何も期待していないから、どうでもいいというか。昔からずっと『嫌いじゃない』と両親のことを思っていましたが、それには『好きになりたい』という気持ちがあったんじゃないかな。それが期待だったんだと。今は『なんとも思わない』ですから。他にしたいこともいっぱいあるので、もう構ってられないですよ」と仁美さんは吹っ切れたような笑顔で語っていました。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。